市川拓司「避難民たちの夜」@B&B トークショー2
静止画にして音声だけを聞いてみると、異常に早口ですね。
こんなに早口だとは思わなかった。このブログでぼくの声を公開するのは初めてのことだから、驚く方多いかもしれませんね。
いや、しかし...
自分では、宇多田ヒカルさんや黒柳徹子さんぐらいのスピードかな、ぐらいに思っていたけど、ここまで早口とは。
多くの編集者さんや作家の方たちから、「市川さんは小説家の中で一番おしゃべりだ」と言われてきたけど、それを印象づけているのは、このしゃべる速度も理由のひとつかもしれませんね。あと、異常なまでに声がでかい。この日も、マイク渡されたけど、けっきょく使わなかった。子供の頃から、いろんな「大声大会」で優勝してきた喉ですからね。マイクなんかまったく必要ない。
この音圧と、この速度で5時間も6時間もノンストップでしゃべり続けるのだから、相手をする人間からしてみれば、「このひとは度を超えたおしゃべりだなあ」と思うのは当たり前かも。
まあ、多弁症とも言われているし。やまいだれが付くほどのおしゃべり。脳内物質が溢れ出ているものだから、加減ができない。
2時間のトークショーで他のひとたちの4時間分をしゃべってる。
こうやって動画で、客観的に自分を見られたのは、いい体験になりました。
似顔絵を風景で描いてもらいました
先日、根本有華さんの個展におじゃまして、うちの奥さんが似顔絵を風景で描いてもらいました。根本さんがうちの奥さんから感じた風景。奥さんの似姿ですね。さっそく額に入れて飾ってみました。
すごく涼やかで優しい印象。この緑の繁みは迷路のようになっていて、その奥で少年が遊んでいる。
そう聞いて、まさしく! と思いました。うちの奥さんは少年なんですね。心の深いところでは。そして、ぼくが少女。互いがうまく裏返っているので、一緒にいられる。新鮮で不思議な体験でした。
根本さんには、個展の会場で「壊れた自転車でぼくはゆく」の販売までしていただいて、ほんとに感謝です。
この場所での個展は先月末で終わったのですが、似顔絵の風景は、続けられると思うので、興味のある方はどうぞ体験してみて下さい。
http://arica11.exblog.jp/
この日の出会いは不思議なことばかりでした。
ぼくは閉じた人間なので、ふだんはほとんど家に籠もっているんだけど、「壊れた自転車でぼくはゆく」を描いたことで、驚くほど多くのひとと短期間で繋がった。十年分の出会いを三ヶ月で果たしたような。
ふと思ったのは、ぼくも個展みたいなことを出来ないかな? ということ。
一週間とか小さなスペース借りて、そこに万華鏡やゾートロープや描いた絵や転がりオモチャや、からくり玩具を並べて、来た人に見てもらって、本にサインもして、ビブリオトークみたいなこともして、ぼくみたいな変な作家だからできる個展がある。そうそう、ジオラマも展示。できれば水槽も置きたい。
その場でゾートロープづくりのワークショップやったっていいし。
あるいは、ほかのアーティストの方、作家さんはもちろん、画家の方、ものづくりの方、いろんなひととコラボレーションしても楽しいかも。根本さんとのトークショーはまさにそんな感じ、思いもよらない出会いをつくってくれるんですね。日替わりゲストみたいにするとか。
根本さんの個展が、場所そのものがひとつの作品になっていて、それがすごくよかった。
だから、「寛太の部屋」みたいなコンセプトで、小説と現実、作者と登場人物の境目が溶けていくような、そんな空間がつくれたら。
いつ、自分の中の開かれたゲートが閉じるか分からない(こればかりは、サイクルがあるので)、まあ、いまのところ夢半分、の案ですが。
B&Bのトークショーには、作家の深沢潮さんも来て下さって、本をいただきました(サインも!)。
連作短編集なんですが、きれいな対称構造になっています。ぼくはジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」を思い浮かべました。異文化の対立がつねにあるんだけど、その中で、精一杯優しくあろうとする、寛容であろうとする登場人物たちの姿が切なくて愛しい。とくに最後の「ブルー・ライト・ヨコハマ」いいですねえ。やられたっ、って感じでホロリときちゃいました。
優しくあろうとする覚悟、勇気、強さ。そんなものを出会ったひとたちから感じます。
いまのこの世界の状況を考えると、こんなふうに同じ思いを抱いた人間たちが、出会い、引き寄せられ、そして1足す1が5にも10にも膨らんでいく。伝播する力。個の思いをこえて、いやもおうもなく伝えられていくメッセージ
。父権に対する母性の浄化作用。そう、女性なんですよ。ついには、国や人種を越えて、アメリカやヨーロッパにもこの出会いの連鎖が広がっていく。この速度は驚くほどです。みんなが求めているからなんでしょうね。ヒロイズムとは別の物語を。少数派ではあるけれど、けっしてその声は小さくない。
なんとか恐怖症を克服して、海外の人たちとも積極的に会っていきたいと、強く感じてます。
せっかく向こうが手を差し伸べてくれているのに、臆していては、申し訳ないですし。