とくにこのおもちゃに興味のある人もいないとは思うんですが、ぼく自身の強烈な思い入れを込めて、追加画像をアップします。銅細工っていうのは見た目も美しいんですよね。銅には曲線がよく似合う。
ところどころに置かれた銅の球は、すべてステンレスの球が転がるとき、それに反応して動くギミック部分です。ここが肝です。見ていてすごく楽しい。時間を忘れて遊んでしまう。それこそ何時間でも。新しい小説では、ここに時計としての機能を加えたものが出てきます。球の一個一個が分や時間を表す。
最近の水槽。
この左側の細い流木に生えたウォーターフェザーは、すべて胞子から発芽したもの。いっさい巻き付けたりはしてません。育ててる人はみんな気づいていると思うけど、ウォーターフェザーは、簡単に胞子から発芽する。
手前のウォーターフェザーは、自分で焼いた陶製のベースに古い株を巻き付けて発芽させたもの。こうやっていくらでも増やすことが出来ます。成長が早すぎて形を保つのが大変なほど。ただアオミドロがすぐつく。これはもう水替えの頻度で対応するしかないですね。
いわゆるFissidens fontanusよりも、育ててみるとちょっと大味な感じ。葉が間延びするというか。同種なんでしょうけど、やや亜種に近いのかも。
画面右はふつうのホウオウゴケ。これで三月目ぐらい?
みなさんが言うように、成長遅いです。それに新芽の密度もあまりない。夢はホウオウゴケで水槽を覆い尽くすことなんだけど、そうとうな根気が要りそう。
あるいはよくあるように、臨界を超えたら、一気に増えるのかも。水温は21度と低めにしてます。あと効果があるかどうかは分からないけど、2価イオンの鉄分をいろいろ与えてます。あとカリウムも毎日。
自生地を見ると光はあまり要らないのかもしれません。なんにしても完全に沈水状態で育っているのを見たことはないので、こういった微妙な水圧も成長には関係してくるのかも。いくらCO2を増やしても自生している状態にはなかなか近付かない。とうぜん硬度は高めがいいんでしょうけど、それもなかなか。
かつてショップのレイアウト水槽で、これがもっさり底床全体を覆い尽くしているのを見たことあるんだけど、それも思えば水深が10cmぐらいしかない特殊な形状の水槽でしたから、あれは限りなく抽水に近い。あるいは定期的に抽水状態をつくりだしていたのかも。今後の課題です。
そしてこっちはホソホウオウゴケ。現地採取。自生状態を見ても、完全沈水の群落もいっぱいあり、水槽への移行が容易なことは明白です。これもみなさんが言っているとおり。
現地の小川の水温は10度。硬度は測らなかったけど高そうでした。
プラケースに入れて湿らせた状態で室温の中一ヶ月ほど置き、そのあとで水槽に移しました。その時点では新芽の発芽は0。葉は採取したときのままの明るい緑。
これを全部ほぐして、一枚一枚拡げて自家製陶ベースにテグスで巻き付けました。
そしたら一月ほどでここまで発芽してきました。巻き付けた葉のほうはすっかり黒くなりました。
ホウオウゴケとは比べものにならないぐらい発芽が速い。それに密度がぜんぜん違います。写真じゃ分かりづらいけど、ちっちゃい新芽が無数に隙間なく出てます。
そのまま水槽に投下するよりも、こうやったほうが新芽の成長がいいですね。これも胞子でも増えます。
あとは成長後の形状がどうなるか。けっこう貧弱になりやすい。やっぱりそこが課題です。光が強すぎても矮小化することがあるので、水槽の中のいろんな場所に分散して育てて比べてます。
まあ、前回の続きなんだけど、テナガザル的人間の、けっこうこれは標準スタイルというか。
こんなことに楽しみを見出して生きている。
酒を一滴も飲まず、煙草も吸わず、コーヒーも紅茶も飲まない。グルメにもグルマンにも、B級グルメにもまったく興味はない。趣味は家のまわりを歩くことと植物を育てること、それとおもちゃづくり。
旅行に行ったことは数えるほどしかないし、人生の中で自宅から100キロ以上離れたこともめったにない。
カラオケに行ったことも一度もなく、いわゆるクラブがどんなところかも知らない。
十五で知り合い十九で付き合い出した奥さんが初めての恋人で、35年間一緒にいます。勤めていたときも、1秒でも速く家に帰りたくて、おおむね六時前にはいつも家にいた。
今年も、まだ身内以外のひとと誰ともしゃべっていない(店員さんと病院の先生は除く)。メールは三通だけ来ました。TVもほとんど見ないし、SNSとも無縁。車や服にもお金は掛けない。服は穴が空いたらガムテープ貼って補修しているし、靴は何度穴が空いてもテグスで縫って補修して履いてます。
「な、なんてつまらなくてみすぼらしい人生なんだ……」と思うひとがほとんどでしょうけど、ここをいつも読んでいるひとは、実はそうじゃないことを知っていますよね。非チンプ的テナガザル人間には、彼らとはまったく別の世界がある。金が掛からず、仲間を必要とせず、人工的な享楽とはまったく無縁の楽しみ方。
それにぼくは自分が美しいと思ったものに囲まれて暮らしてます。そのほとんどは自分が育て、つくったものなのですが。
ぼくの生活は、こういったグループの中でもまたとくに極端な形だとは思います。でもまあ、だいたいみんな似たり寄ったり。
自然への感受性が高いこととは、かなり強い相関がありそう。
金銭やモノに対する欲がないことと、自然への親しみ。
ぼくはよく、「自分は地球に恋してるんだな」って思います。あの感覚は恋にとても近い。
森や土や空や水辺にたいする、あの感覚は。胸がどきどきする。切なくて、甘美で、どこか崇高でもある。
地球と恋に落ちたら、自然を蔑ろになんかできないのに、と思います。「彼ら」が恋しているのは、もっと別の相手なんでしょう。けたたましくて、過剰に飾り立てた、そんな誰か。
彼らも、ぼくらもあまりに自分の繁殖戦略に適合しているために、ずいぶん生物として離れてしまった。
野生の獣なんかどうなんでしょうね。ひとつの種の中にチンパンジー的個体とテナガザル的個体がいること。
もちろん、そのあいだのひとたちもいっぱいいる。そのときどきで、いろんな振る舞い方をする。
だから、一方のサンプルばかりじゃいけないんですね。こういう人生のよろこびもあるってことを描いてみる。
偏らないために。