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過敏症は継続中。一週間ぐらい不整脈が止まらなかったんだけど(期外収縮が数秒おきに一日中)、ここにきて治まりました。

 過剰驚愕症が高まってくると、例の「幽霊の正体見たり枯れ尾花」状態になってくるんですね。
 なにを見てもひとのように感じてしまう。三つのドットがあれば、もうそれがひとの顔なわけです。

 防衛本能みたいなものと関連してるんでしょうが、それが亢進して、ある種のパターンに過剰反応してしまう。

 歩いてても、木立の影とかにひとがいるように見えて、ドキン! と心臓が脈打つ。錯覚と過剰驚愕症のセット売りです。ないものに怯えている。無駄なエネルギー消費ですね。

 驚愕症は驚き、不安の過剰反応ですが、この状態のときは、全方位的に感情が亢進するんですね。
 なにもかもが大袈裟になる。

 感じ入りすぎる。痛いほどに感じてしまう。 

 でもやっぱりノスタルジーみたいな感覚が一番強い。
 なにを見ても、甘美で切ない感覚に胸が満たされ、心臓がカッと熱くなる。

 夢ではやっぱり空を飛んでます。こないだ初めて、奥さんと一緒に空を飛ぶ夢を見ました。
 
 歩きは継続中。
 毎日二十キロ歩き続けると、「毎日二十キロ歩くのに適した身体と心になる」。当たり前ですが。

 ひとはすべてみな、そうやって身体を適応させていく。動かず飽食を続けていればそれに適した身体と心になる。

 行きすぎれば病みます。当たり前ですが。

 掲示板にも書きましたが、安っぽい人工香料に囲まれて暮らしていれば、安っぽい身体と心になる。

 掲示板にはこう書きました。

 『――生きものは最初、自分のまわりの化学物質を毒なのか栄養なのか判断して、それが最初のセンサーとなった。人間にとっても一番基本の世界に対する判断基準なんですね。それが現代人のほとんどが損なわれている。人工香料に囲まれて暮らしてますからね。脳が混乱している。だから、それをすべて遠ざけて、自然本来の香りに意識を向ける。脳の嗅覚野がリセットされれば、世界を弁別する能力が帰ってくる。とくに倫理観、審美眼、このふたつが蘇る』

 嗅覚は倫理です。正しいか、正しくないか。
 「鼻が利く」とか「どうも臭うな」とか、ひとはなにかを判断するときの表現に嗅覚を使います。むかしのひとは分かってたんですね。感覚が鈍麻した現代人は、たいていのこういった表現を修辞とみなしますが、ほんらいは逐語的な意味合いを持っていたはずです。

 伽羅の香りはお釈迦様の言語化できない高度な概念を表している、と言われてますが、この言語化されていない概念を香りを通してひとが受け取り、そのことによって脳がある状態に変化するのだとしら、下品で貧弱な人工香料をかぐことによって、やっぱりひとの脳はそのように染まっていく。

 あらゆる食べ物、飲み物、衣服、場所に人間がつくり出した歴史の浅い人工の香りが浸透しています。

 そうやってひとびとは弁別機能を失っていく。

 企業にとっては都合がいいわけですね。無価値なものを、まったく必要のないものを、ありがたがってお金を出して買ってくれるわけですから。企業は消費者に覚醒してほしくはないはずです。

 食べ物、ブランド、音楽、物語、ゲーム、SNS――

 ほんとに自分の貴重な時間とお金を(あるときには健康をも)差し出して、欲すべきものなのか。

 人生がたかだか70万時間。いま二十歳ならその1/4は使い終わったわけです。

 できれば、その限りある大事な資源を、価値あるものに使いたい。

 すごくよく見るのが、赤ちゃんをベビーカーやだっこで散歩させているお母さんが、じっと携帯電話の画面を見ている姿。

 赤ちゃんが赤ちゃんでいる時期なんてほんのわずかなのに。赤ちゃんが一心に母親の顔を見つめてくれる時間なんてほんのわずかなのに、お母さんはその時間を携帯ゲームや、どうでもいいメールや、他人がなにを食べ、どこに遊びに行ったのかとか、そんなどうでもいい情報を得るために使ってしまっている。

 価値のあるのはどっちなのか?

 みんな鼻が利かなくなって、企業のたくみな誘導に乗ってしまう。

 コマーシャルとかで、「もうみんな知ってるよ」「みんなはまってるよ」って、言うけど本当なんだろうか?

 大切なものを計る基準をひとまかせに、さらには企業まかせにしてしまっているから、こんなコマーシャルが成り立つわけですよね。

 なんだかものすごいことが起きているのに、誰も気付かずにいるような気がして、かなり怖いです。

 「おそろしい妖怪が、頭上を通りすぎていったのに、気づいた人は、ほとんどだれもいない」

 レイチェル・カーソンの『沈黙の春』です。

 あとになって、「ああ、あのときだったんだな」って気づく。でも、そのときにはもう。

 最初にカナリアのように鳴き立てるのは、おそらくはぼくのような過敏症の人間たち。
 でも、いくら言い続けても、誰も耳を貸そうとしない。

 大事なのは、もうちょっとだけ覚醒レベルを上げることなんですね。鼻を利かせる。
 
 先日、BBCだかどっかのドキュメンタリー見てたら、アメリカの共和党と民主党の選挙戦の裏側の話が出てきて、共和党側の、富裕層の減税に力を尽くしていたあるロビーストが、ここで心を変えて反対陣営に移ったんだけど、その理由が「悟りを開いたから」みたいに言ってたんですね。修辞的に取ることも出来るけど、もしかしたら彼はほんとに東洋思想に触れて、なんかそういった訓練をやったのかもしれない。

 で、覚醒レベルが上がったら、ふと気づいてしまった。欲って、ろくなもんじゃないな。
 単純に脳内の神経伝達物質の質や量が変わっただけで、自分のなすべきことを180度転換させた。

 賢くなった。善も悪もなく、ただ賢者と愚者がいるだけとよく言うけど、ほんとそんな感じ。

 まずは匂いと食事です。それと歩くこと。

 それを変えると、血中の神経伝達物質の量や質が変わる。

 そうすると、センサーの目が細かくなって、いまよりずっと弁別能力が上がってくる。

 ちゃんとものが見えるようになると、他人の評価や押し付けてくる価値観に、まったく惑わされなくなる。

 実に単純です。それだけのこと。


 掲示板の話題からはずいぶんずれたかもしれないけど、これはぼくが自分でやってみて、おおいに効果を感じたことです。ほんとによくものごとが見えるようになった。 

 ぼくはずーと子供の頃から「お前は間違っている」って言われ続けてここまできたけど、じゃあ、それで不幸か、って言われれば、むしろ、そのおかげですごく幸福なんじゃないかって思います。

 奥さんに気に入ってもらえたこととか(彼女は『変わったひと』が好きなんです)、作家になれたこととか、いろんなジャンルでトップのひとたちと仲良しになれたこととか。

 もし、ぼくがひとから言われたことを鵜呑みにして、じぶんは間違ってる、駄目な人間なんだ、って思うようにして生きていたら、きっといまとは違う人生になっていたと思います。

 自分の人生はけっきょく自分で生きるしかないんだから。

 
 
 
 
 
 

 


 

 


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