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掲示板の続き

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歩いている途中でパチリ。こういうのはもうほんとに胸が痛くてどうにかなってしまいそう。「こんなにも世界は美しいのに……」はナウシカのセリフでしたっけ?

 掲示板の続きですが、なんとも言いようのない感情の昂ぶり、甘く切なく、どこか懐かしく、かつ荘厳で幽玄で、死をものすごく近くに感じる。

 これをぼくは古い脳への回帰だと解釈する。新しい脳の抑制が解かれた状態。鬱傾向では生じないことから、古い脳はより高い活力を必要としているらしい。病理レベルでの過覚醒状態であるぼくがこの状態になりやすいことから考えても、そうとうなレベルの興奮が必要みたい。

 逆を言えば、ひとは強い抑制を獲得したことでひとになった? 

 古い脳で世界を見る、感じる。そこでまず生じるのは境界の喪失ですね。自分と世界との境界。我と彼。過去と現在と未来。夢と現。死と生。

 ひとになるっていうのは、この境界をつくることなのかも。そして仕分けする。データベース化し、すべてに名前を付ける。言語化する。

 シャーマン体質の人が、世界のあらゆる集団で、この状態でものを語ったのが、やがては神話や宗教になっていった。
 だからより「ひと化」していくほど、神話は遠くなっていく。

 ぼくが(無意識のうちに)書こうとしていたのは、この「汎神話的世界」の物語なんでしょうね。たぶん。

 「なんだか分からないけど、言葉には出来ないんだけど、あの感覚を読者に味わってもらいたい」と言い続けてきたのは、そういうことだと。

 これを退行と見るのか、ひとの原型へと向かう高次の体験と見るのかは、体験したひとが自分で判断するしかないですね。体験しなければ、もとより判断のしようもないのだけれど。

 こういうプリミティブな感覚は、やっぱり脳の最新の機能をつかうよりは、古い機能をつかったほうが起こしやすい。

 それが情動や愛だと。ぼくは感傷や望郷、哀切、高い湿度、脱抑制の文章、そして男女や親子の愛をつかって、その場所に向かう(つい最近、「パラノーマルアクティビティー」をDVDで見てたら、やっぱりこの感覚に陥った。この場合は恐怖とか不安? ただ、そこで辿り着く場所がちょっと違う感じはあります。着地点がかなりずれている)。

 男女の愛なんて生物に雌雄が生じたときから原始的な形で存在していたのだから、やっぱり道具としては強力なんですよね。

 そうやって読み手の脳を強くゆさぶってある境地に向かわせる。

 もひとつ、「物語」が強いのは、それが「体験」だからっていうのはありますよね。

 よく「知識は体験を通じて智慧となっていく」って言われるけど、読書というのは、登場人物に共鳴しながら、物語世界を体験していくことですから、まさに知識ではなく智慧に繋がっている。

 「知る」のではなく「感じる」ってやつです。

 どっかの映画監督が「どんだけ素晴らしい言葉を聞いても、多くのひとはすぐに忘れちゃうけど、それが感動の涙を流しながら耳にした言葉ならずっと忘れないんだよね」みたいなことを言っていたけど、これもそれに近いのかも。

 物語っていうのは、すごく強いんですね。道具として。

 で、その境地に一度立ってみると、すごく見渡しがよくなって、日常の多くの欲望や煩悶が、じつはそんなに大事なことではなかったってことに気付く。あれです。宇宙飛行士が地球を眺めたときに感じるやつ。あんなふうなのかも。

 いずれもっと宇宙に簡単に行けるようになったら、みんな二十歳とかになったら必ず行くような仕組みにすれば、世界の在り様もきっと変わるでしょうね。別に脳の過剰な興奮なんか必要とせず、その場所に辿り着くことができるようになるから。


 

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