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 おそらく掲示板はもうお休みでしょうからこちらに書きます。

 全人類が『愛と調和』を基に解決するまで話し合いをやめない――

 まさしく、その通りだと思います。TVドラマとか映画とか、すごく多くのひとに影響力のある媒体が、こういったことを広めていくべきなんでしょうけど、実際は……

 前にも書いたけど、「論説」よりも「物語」のほうが浸透する力が強いんですね。「体験」だから。
 
 憎しみの物語が広がると、それがその集団の基調となる。潜在的に。自分が所属する集団以外の者を排せよ、ってなっちゃう。正義は我にあり。だって敵は悪で、仲間の利益はぜったいに善なのだから。
 こういった物語ばかり。

 功利的全体主義というか。
 
 そうすると集団のメンバーにも同じ考え方が適用される。強く在れ、賢くあれ。だって、それは、集団を強化してくれるから。弱い者、賢くない者は、なんとしても成長せよ。そうやって同調圧力を掛けてくる。

 たしかに、そうやって集団を構成する者たちが、「強者」になっていけば、その集団は強いです。拡大し、富み栄え、他者を圧倒する。

 ちょっとした共時性というか、マトリックスAさんの書き込みがある少し前に、何十年ぶりかで小松左京さんの「継ぐのは誰か」を読み返したんですね。父親が買ってきて、それを中学生の頃に読んだんだけど、いま読むと、また違うところに目が向く。

 中に出てくる賢者が、権力者、為政者っていのは「力」で、学者は「智」である。この二つの原理を超えたところに「すべてを肯定する力」すなわち「愛」がある、みたいなことを言っていて、それをいまの人類はまだ手にしていない。

 で、これはまた別のとき、治療院の待合室に置いてあった本に書いてあったんだけど(たしか河合隼雄さんと有名な霊長類学者の方の対談)、人類は霊長類としてはチンパンジーに近く、父権的である。チンパンジーの群れの構成はオス1に対しメスが3で、それがオスの子殺しとかヒエラルキーとかのもとになっている。

 対してニホンザルは母権的で、すごく寛容なんですね。他の群れの者が来てもウェルカム。出て行くのも自由。

 人間はニホンザルよりはチンパンジーに近い。つまり、生物としてかなり根の深いところに、排他的であったり、ヒエラルキーに対しての感受性の高さというものが織り込まれている。

 ついこないだの日経サイエンスだったと思うけど、お母さんのお乳っていうのは、男の赤ちゃんに与えるときのほうが、女の赤ちゃんに与えるときよりも濃度が何倍も濃いんですってね。

 つまり、強い男に成長させたほうが、こういった一夫多妻制の動物では自分の遺伝子を多く残せるから。

 こうやって「生理」のレベルでも、人間はオスにヒエラルキーを押し付ける。他の者に負けるな。

 でも、人間は猿よりはいろいろと考えることが出来る。予測推論する力がきっと猿よりはあるはず。
 自分の死をずっと意識しながら生きていくこととかもそうだし。

 賢くなれば、なにかに気づく力が強くなれば、欲や争いが馬鹿らしいことだと悟るはず。(真の)権力者は戦争でもだいたい「Win-Win」なので、彼らが考えを変えることはまずないでしょうけど、それ以外の人間のほうが、つまりは傷付く側にいる者のほうが数千、数万倍も多いのだから、あとは考え方次第ですよね。

 愛っていうのは、だから賢さでもあるんですね。


 
 

 

 

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