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掲示板の続き3

 朝食が終わったら、基本は執筆です(いまは止めてますが)。

 これはもうそのまま自己治癒のための行為と言えます。だから、ぼくと同じような体質の若い人たちから相談を受けると、いつも「なにかを表現するといいですよ」って言います。
 
 小説でも絵でも音楽でもダンスでも、なんでも。いわゆるアート。すべて顕在化されていない「思い」の解放に繋がる。夢の効用と一緒。

 小説なんていうのは、幻視したものを言語化していく作業なんだから、まさにそうですよね。内圧のいいはけ口になってくれる。安全弁みたいなもの。

 脳の興奮は身体化するときと心にでるときと、両方あるから、どっちもはけてあげたほうがいい。

 こういった自己治癒としての表現は、あまりまわりを気にせず、自分の心にじっくり耳を傾けて、それを掘り起こしてあげるようなやり方がいいと思います。フォーマットや流行を意識したら途端に効果は失せる。

 我流が一番。小説なら「自動書記」状態になるのが最高。ほんとに自分が書いたの? みたいな。

 だから、昨日、ぼくの小説の方法論みたいなのを書いたけど、あれはすべて後付ですね。
 書いているときはそんなことなにも意識していない。結果としてそういうことだろう、と。

 そうやって書くと、本人も思いもしなかった心の深層が浮上してくる。
 「いまあい」の祐司の澪に対する罪の意識なんかまさにそう。書いてから一年ぐらい経って、ようやく気付いた。
 あれはそのまま自分の母親に対する気持ちだったってことに。そんなもんです。

 あいだに昼食はさんで、7時間ぐらい? 日によって大きく変わりますが。

 で、いつの頃からか、出来上がったパターンがボクサースタイル。サーキットトレーニングスタイル。

 だいたいPCに向かって10分ぐらい執筆すると、それから三分ぐらいは思いきり身体を動かす。

 家の中を走り回ったり、へんな踊りおどったり、室内用のトランポリンでぴょんぴょん跳ねたり。

 これで肉体の興奮をはけてあげる。昔はがーーと集中して書いていたんだけど、あれやると、3時間ぐらいで熱暴走起こして、フリーズするんですね。結果として効率が悪い。

 だもんで、血液やリンパによる水冷効果もかねて、動き回る。

 奇声挙げるのもあり。どうせ家の中だし。ぼくはよくファルセットのさらに上のホイッスル音を出します。マライア・キャリーがやってたやつ。あれが滅法気持ちいい。幼児がよくデパートとかでやってますよね。

 たぶん50代男性であれが出せるのはごく少数だと思います。うちの奥さんも子供も出せないし。
 例のジョブズの原初絶叫療法なんて、これの発展系なのかも。


 あと日に三回、漢方薬も飲んでます。時期によっていろいろ変えるんだけど、どれも「肝熱」を下げるものです。
 もう、これに尽きる。過剰な肝熱。ぼくの場合は心熱も問題だと言われてますが。

 基本はこれが毎日。土日も関係なく。ただ、合間に病院と食料の買い出しと奥さんの仕事の送迎が入ります。

 ひとに会うことは年に数回しかないです。

 新聞も読まないし、TVも自然ドキュメンタリーぐらいしか見ない。携帯は電源がほとんど切れているし、最近は固定電話にはほとんど誰も掛けてこない。

 PCのメールは、こないだ数えたら月に5、6通ですね。知人からのものは。すごく少ないです。メール0通の日がほとんどです。
 SNSもやらず、ブログサイトの巡回もしません。

 植物と水に囲まれて静かに暮らす。そうすることによって異常な興奮を遠ざけることが出来る。

 勤めていた頃にはぜったい無理な話です。作家になれてよかった。

 ぼくと同じような体質の人が、これと真逆の生活を送っていたら、かなりしんどいんじゃないかと思います。
 「世間の常識だから」ではなく、自分の絶対的価値観でなにが必要なのかを考えて生活を組んだほうがいいと思います。だいたい世間の常識はマスコミが喧伝しているもので、それは企業側の要求だったりしますから、じつは不必要なものを、さも価値があるかのように見せて商品やシステムや生活スタイルを売りつけてるだけなのかもしれないし。

 おおくの常識はマスコミがつくった虚構、ぐらいに考えていれば、自分が誰かより劣るとか、そんなこと思わなくなる。とにかく自然に目を向ける。そうするとおのずと、ものを見る目が肥えてくる。直感力が回復してくる。

 なので、午後三時過ぎからまた歩きに出ます。

 このラウンドは二時間。ほぼ十キロですね。ノンストップで歩きます。

 やっぱり時間が長い分、ここが一番「効く」。

 一時間過ぎたあたりから気持ちが高揚してきて、感極まって涙が止まらなくなる。

 数日前はもう「嗚咽」でした。町中じゃあ問題ですが、原野みたいなところなので、顔を見られる心配もない。

 一時間ぐらい泣き続ける。なんで世界はこんなに美しいんだろう、って思うんですね。

 ただあるがままで素晴らしいのに。それ以上なにを望む? みたいな感じです。

 安いですよね。特別な修行をしたわけでもないく、ただ歩くだけで、この昂揚感。お得です。

 夕焼けはちょっと感傷を呼びますが、焼けない日は、黄金色の落陽が見られます。

 これがまたすごくて、必ず、必ず、気持ちが持って行かれてしまう。

 なにを思うかっていうと、死を連想するんですね。死の旅立ち。太陽っていうのは、向こうからこっちに向かって電磁波とか粒子線なんかが飛んできているわけですが、意識としてはむしろ吸い込まれる感じ。

 なぜでしょうね? なにかがぶつかってくる、って思わず、こっちが光に向かってるって思ってしまう。

 産道を通って光り溢れる分娩室に出たときのことを憶えてて、それを追体験しているってわけでもなかろうに。
 臨死体験って読むと、やっぱり光に向かいますよね。あれもいわば究極の脳の興奮だから(ひとは死にそうになるとあらゆる自前のカンフル剤を放出して覚醒をうながす)、なにかひとは脳が興奮すると、「光に吸い込まれるような気分」になるようにできているんでしょうか。

 あまりの興奮に脳が一気に先祖返りして、原生動物の正の走光性みたいな感覚が蘇るのか?
 すごい飛躍ですが。

 同じ落陽でも、半径数百メートル以内に自分しかいなくて、しかも木々の黒いシルエットに向かって沈んでいく太陽がいいんですね。山の稜線なんかもいいかも。

 人混みでビルの向こうに沈んでいく太陽とはまったく別もの。

 これも脳が、あるパターンを見たときのみ興奮するようにできているからなんでしょうね。その中に都市の風景はない。

 で、日が暮れたら家に帰る。

 脳が鋭く反応するパターンはいくつかあって、「落陽」「雲」「木々のシルエット」「ねぐらに帰る鳥」「川の波光」「風に揺れる梢」「風に揺れるススキ」「月」「森の奥の闇」なんかは、けっこう定番。

 まあ、全部古来からあるもので、そこにひとの古い脳が反応するってことなんでしょうね。

 長くなったので、また続きはあとで。
 

 


 

 

 


 

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