« March 2012 | Main | May 2012 »

 ひとつ前の記事を書いたあとで、やっぱり具合がよくないのでベッドに横になっていたら、かつてないほどの追想の亢進が。

 いつも書いている追想発作とは違います。あれは、まったく本人の意志、あるいは音楽や匂い、情景や空気感といった追想のトリッガーですね、そういったものと関係なく、唐突にやってくるものです。

 追想の亢進とは、だからいま言ったこと――その気になれば、あるいはなにかきっかけがあれば、記憶がやたらめったらと蘇ってくること。

 実は、このひと月ぐらいずっと感じていたんですね。妙にそれが多いなと。かわりに追想発作がほとんど起きません。なにか記憶野の状況が変わってしまったような。

 春というのはとくに空気感が追想のトリッガーになりやすい。これはみんなそうだと思います。湿度の高い柔らかな空気に触れると、ふいになにかを思い出す。つまり無意識のうちの連想ですね(だから発作じゃない)。

 その追想の質が変わりつつある。臨場感、ディテール、あと追想が可能な記憶の数。
 ちょっと前までは決して思い出すことができなったことが、やすやすと思い出せるようになる。しかもくっきりとした輪郭を持って。

 さっきはすごかったです。
 あれに近い、ストリートビュー。あんな感じ。40年以上前に住んでいたアパートの部屋を、あんな感じで眺め回せる。もちろん、いままでも同じことをやってきたんだけど、その密度が断然違う。寄っていけば、いくらでも細部を眺めることができる。この四十年間、まったく思い出すことのなかった絨毯の煙草の焼け焦げあととか、絨毯を畳に止めておくピンの頭の色、少しだけ抜け掛けて、曲がっているその角度、ピンの錆び具合――見たいところに寄っていけば、なんでも見ることができる。

 あとは臨場感が違う。まさに、自分がいまそこにいるのだという感覚。それが強烈にある。
 目覚めながら鮮明な夢を見ているようでもあります。

 いいかげんな追想だと、ざっくりと場面を俯瞰してて、へたするとそこに自分も見えたりするんだけど、あれは幾つかの記憶をもとに、脳が情景をつくっているんでしょうね。

 こっちはまさにFPSです。自分の身体は手や足しか見えない。ああ、でも感覚はむしろ、幽体となってその場所を浮遊しているような感じに近いかも。肉体感覚はあまりない。

 エピソードよりは断然場所の記憶です。人気はない。まるで天国みたい。誰もいない。そこを自由に移動していく。

 1時間ぐらい興奮しながら、様々な場所を彷徨いました。きりがないです。
 そのとき以来、数十年間思い起こすことのなかった記憶を、百でも二百でも汲み上げることができる。
 この状況がどのくらい続くかは分からないけど、すごく貴重な体験だと感じています。

 おそらくは側頭葉の異常興奮が引き起こしている。
 これは純粋に、映像の記憶なので、あの追想発作にともなう、なんとも言えない気持ちの高揚はまったくありません。かなり冷静に、ただ好奇心だけを持って、細部を観察している。

 ただ、この臨場感はなんだろう……
 歩いている道の、ほんの十センチほどの段差まで思い出せる。何十年も忘れたままだったのに。
 あと、臨場感を強くしているのは「触覚」手触りですね。これが生々しい。音はないです。意図的に誘導すれば聞こえてくるのかな? ちょっと分からない。

 視覚と触覚。感情も音も蘇らない。

 追想を追想するってあるじゃないですか。過去に一度、あるいは複数回思い出したことをまた思い出してみる。
 たいていは、こればっかなんですよね。

 ところが、「新しい追想」が限りなく蘇るっていうのは、なんか不思議な感覚です。一般的な追想とは違う回路のような気がする。

 まあ、これも一過性の春の嵐なのかもしれませんが。

 

 

 

|

 二回前で胃は無事です、みたいに書いたんだけど、その直後にやられました。
 すごくはっきりしていて、その前の夜に、あまりに首から上の調子が悪いんで、奥さんにかなり時間を掛けて全身のマッサージをしてもらったんですね。そうしたら、熱だか、凝りだか、滞りだかが頭から胸に移動した。

 胃水が上がるとよく言いますが、風呂入ってていきなり上げてしまったのには驚きました。なんの前兆もなかったので。そのあたりから、左右の肋膜がものすごく痛くなって、まずいなあ、と思っていたら今度は、強烈な不整脈に襲われてしまいました。なんか過去にやったことのないタイプで、どんどんと胸からまわりに向かって違和感が広がっていく感じ。息も苦しいし、さすがに「これは駄目かも」とまで思いました。

 こういうときにやるのは、迷走神経への刺激です。冷水を飲む。深呼吸と息止め。あと心包経のツボへの刺激。
 だいたいは、これらをやっていくうちに治まるものなんですが、このときは長かったです。

 それからずっと脈は不安定な状態が続いています。今日も朝から息がどうにも切れて、仕事も手につかないので、とりあえずこれを書いてます。

 自分なりの想像だけど、これは横隔膜や肋膜が交感神経の興奮によってぎゅっと凝ったことで、それに包まれている臓器――胃と心臓が自由に動けなくなってじたばたしているじゃないかと、たぶん。

 もう抜けるはずなんですどね。かなり気温も安定してきたし。花火で言えば、これが最後のスターマインなのか? 

 この症状、患部の移動は、どれだけのひとたちが実感しているのか?
 ぼくなんかは露骨なぐらい分かりやすいんですけど。

 とにかく選択的なんですね。大まかに言って、頭部、胸部、下腹部。
 興奮が穏やかになるほど下がっていきます。下腹部だったら腸と膀胱の熱感だから、便秘と膀胱過敏。
 これが一番楽です。あんま害がないっていうか。
 (ティム・オブライエンが「ニュークリア・エイジ」の中で訴えていた「強烈な便秘」は絶対このタイプなんじゃないかと、いつも思っています)


 だから、逆にいまはこの症状はまったく出ていない。頭の熱感も消えたので、かなり眠れます。
 まさしく、不整脈の大発作を起こした日から、ずっとぼく的には快眠状態が続いている。つまり、夜中に二、三度目が醒めるだけですんじゃうという。

 さらに軽くなってくると、手足の痛みですね。あるいは肌トラブル。先端、表面へ向かっていく。ほとんどのひとたちが、この段階で止まっているんじゃないでしょうか。ここよりも中心、内部へはなかなか行かない。
 
 肝熱そのものが治まれば、それらもすべて消えていきます。夏がいつも楽なのはそのため。

 前にも書いたけど、ことしは春が「圧縮」されたために、期間は短いんだけど、その分症状が劇的になる。
 だから、いままでは無事でいたひとが、今年初めて不定愁訴に襲われたってことも大いにありそう。

 一番軽度なのはたぶん花粉症を今年デビューとか、そんなの。

 あともう少しだけがんばりましょう。
 

 
  

|

「ねえ、委員長」ポップ

Neeiintyo

 これが「ねえ、委員長」のポップです。書店でご覧になった方いますか?
 モデルの吉倉あおいさんは、表紙の後ろ姿のひとです。わかりますよね。
 きれいな方ですよね。いまどきにありがちなタイプと違うのがいい。
 前にも言ったけど、すごく小説のイメージに近いです。彼女を思い描きながら読んでもらうといいかも。

 コピーも効いてる。まあほんとに「奥手のための恋愛レシピ」みたいな小説です。

 
 

|

 きついですね。
 遅れた分、一気に春を呼び込もうとしているのか、変化が急で、身体がついていけません。
 さらには、あの爆弾低気圧。あれでノックアウトされちゃったひとも多いのでは?
 一日に30ミリヘクトパスカルの乱高下。

 ほとんど息も絶え絶え、起き上がることもままならず。
 耳鳴りもかなり来たし、まあ、眠れないこと。
 もう、どのくらい眠ってないんだろう? こんなときはむしろハイになりますね。

 目が落ちくぼみすぎて視界が悪いです(嘘です)。

 ただ、胃が無事なのが不思議。一日三食ちゃんと食べてます。これが最後の頼みです。
 食べられなくなったら、ほんと点滴受けるようになっちゃうでしょうし。

 糖質(とくにショ糖)カットは継続中。糖反射が起きないよう、徹底して避けています。
 あと、塩分も同様です。ちょっと濃いめの味付けにすると、身体がぎゅっと締まってくる。
 それが必要なときもあるんだけど、いまは避けなくてはいけない。なのですごい薄口。
 こういうのを続けていると、もうほとんど素材の味だけでけっこう美味しく感じられるようになってきます。慣れですね。

 まあ、あとはできるだけ食べたものが早く胃を通過できるよう、噛んで噛んで噛みまくってます。
 一口食べ物を口に入れたら、箸も茶碗も置いて、当分は噛むことだけに集中。

 それと並行して漢方薬ですね、ぼくみたいな「上がる」タイプは茯苓飲が合う。
 ただ、これだけに頼っても食事をいい加減にしているとすぐ胃がやられちゃうから慎重に。
 
 あとは、朝から晩までカミツレとヨモギのハーブ茶。これを飲んでます。
 これに漢方薬の黄連を単独で加えることもあります。

 それでも――
 いまは、どうしようもないですね。早く「木の芽どき」が行き過ぎてくれるのを待つだけです。
 
 まわりからも悲鳴の嵐。めまい、閃輝暗点、突発性難聴、春の不定愁訴の定番を、多くのひとたちが訴えてます。みなさん、もう少しだけがんばりましょう。 

 

 

|

« March 2012 | Main | May 2012 »