ひとつ前の記事を書いたあとで、やっぱり具合がよくないのでベッドに横になっていたら、かつてないほどの追想の亢進が。
いつも書いている追想発作とは違います。あれは、まったく本人の意志、あるいは音楽や匂い、情景や空気感といった追想のトリッガーですね、そういったものと関係なく、唐突にやってくるものです。
追想の亢進とは、だからいま言ったこと――その気になれば、あるいはなにかきっかけがあれば、記憶がやたらめったらと蘇ってくること。
実は、このひと月ぐらいずっと感じていたんですね。妙にそれが多いなと。かわりに追想発作がほとんど起きません。なにか記憶野の状況が変わってしまったような。
春というのはとくに空気感が追想のトリッガーになりやすい。これはみんなそうだと思います。湿度の高い柔らかな空気に触れると、ふいになにかを思い出す。つまり無意識のうちの連想ですね(だから発作じゃない)。
その追想の質が変わりつつある。臨場感、ディテール、あと追想が可能な記憶の数。
ちょっと前までは決して思い出すことができなったことが、やすやすと思い出せるようになる。しかもくっきりとした輪郭を持って。
さっきはすごかったです。
あれに近い、ストリートビュー。あんな感じ。40年以上前に住んでいたアパートの部屋を、あんな感じで眺め回せる。もちろん、いままでも同じことをやってきたんだけど、その密度が断然違う。寄っていけば、いくらでも細部を眺めることができる。この四十年間、まったく思い出すことのなかった絨毯の煙草の焼け焦げあととか、絨毯を畳に止めておくピンの頭の色、少しだけ抜け掛けて、曲がっているその角度、ピンの錆び具合――見たいところに寄っていけば、なんでも見ることができる。
あとは臨場感が違う。まさに、自分がいまそこにいるのだという感覚。それが強烈にある。
目覚めながら鮮明な夢を見ているようでもあります。
いいかげんな追想だと、ざっくりと場面を俯瞰してて、へたするとそこに自分も見えたりするんだけど、あれは幾つかの記憶をもとに、脳が情景をつくっているんでしょうね。
こっちはまさにFPSです。自分の身体は手や足しか見えない。ああ、でも感覚はむしろ、幽体となってその場所を浮遊しているような感じに近いかも。肉体感覚はあまりない。
エピソードよりは断然場所の記憶です。人気はない。まるで天国みたい。誰もいない。そこを自由に移動していく。
1時間ぐらい興奮しながら、様々な場所を彷徨いました。きりがないです。
そのとき以来、数十年間思い起こすことのなかった記憶を、百でも二百でも汲み上げることができる。
この状況がどのくらい続くかは分からないけど、すごく貴重な体験だと感じています。
おそらくは側頭葉の異常興奮が引き起こしている。
これは純粋に、映像の記憶なので、あの追想発作にともなう、なんとも言えない気持ちの高揚はまったくありません。かなり冷静に、ただ好奇心だけを持って、細部を観察している。
ただ、この臨場感はなんだろう……
歩いている道の、ほんの十センチほどの段差まで思い出せる。何十年も忘れたままだったのに。
あと、臨場感を強くしているのは「触覚」手触りですね。これが生々しい。音はないです。意図的に誘導すれば聞こえてくるのかな? ちょっと分からない。
視覚と触覚。感情も音も蘇らない。
追想を追想するってあるじゃないですか。過去に一度、あるいは複数回思い出したことをまた思い出してみる。
たいていは、こればっかなんですよね。
ところが、「新しい追想」が限りなく蘇るっていうのは、なんか不思議な感覚です。一般的な追想とは違う回路のような気がする。
まあ、これも一過性の春の嵐なのかもしれませんが。