昨夜の夢は、終末ものではなく、どこか知らない町の小さな駅舎と駅前のひっそりとした商店街の夢。
人影はなく、駅員さんも声はすれど姿は見えず。古い建物が建ち並ぶ古い商店街が駅前からふた筋伸びているのが見えるんだけど、夜のまだ八時なのにもうどこも閉まっている。薄暗くて、誰もいない。
ただ、二軒だけ、しめた引き戸の磨りガラスを通して、家の中の灯りがぼんやりと漏れている。
なんのストーリーもない、「場所」の夢ですね。
でも、特筆すべきは、この静寂さです。冥界に来てしまったような静けさ。
脳の興奮が頂点に達したときにだけ見る夢です。
興奮が高いと、現実との区別が付かなくなる夢を見るときがあって、目覚めたあとも、しばらく考えてしまうんだけど、これは、別のタイプ。もっと上をゆく。
つまり、ものすごい存在感、臨場感があるにもかかわらず、絶対に現実とは違うという認識がある。それは目覚めたあとってことですけど。なんということのない、どこにでも在る風景。なのに、強烈な隔絶感がある。
それこそ彼岸と此岸の距離ですね。
絶対に「ここ」ではないという感覚。でも、絶対に「在る」という感覚。
強烈なビジョンでもって、その後何十年経っても鮮明に思い返すことになる夢。
極限まで高まった脳の興奮が見せる夢。シャーマンの幻視もきっとこんなものなんでしょう。
脳が狂気に陥るのを防ぐために見せる夢。強烈な鎮静効果がある。
父親に言ったら、「わかる。あの夢を見たあとの目覚めは、妙に清々しいんだよな」と頷いてました。
父も「そこにないもの」をふだんから見てしまうひとなので、やっぱりこういう夢を必要としている。
原始宗教ってこんなところから始まったんじゃないのかな、っていつも思います。
脳の中に存在する「あの場所」を冥界と言い換えることから。
ぼくがやっているのも、「あの場所」を描くこと。そればっかり。