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「ねえ、委員長」のポップ書き

 見たひといますか。
 家族や知り合いに訊いても、いまのところ目撃者なし。
 すごく可愛いポップなんですよ。表紙のモデルになって下さった吉倉あおいさんの正面からの顔写真が大きく写っていて、言葉もそえて下さっている。

 みなさんの目に触れないのがすごく残念なんですね。
 もし、可能ならここに載せてみます。今度訊いてみます。

 国内はあんまり元気ないんだけど、引き続きフランス版は調子いいです。「le mondo」に続いて「Marie Claire」の電子版でも取り上げてもらって、それをもとにした記事があちゃこちゃに広がってます。なんか自分でもびっくりするほどです。こういうのは元気づけられます。

 

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 昨夜の夢は、終末ものではなく、どこか知らない町の小さな駅舎と駅前のひっそりとした商店街の夢。

 人影はなく、駅員さんも声はすれど姿は見えず。古い建物が建ち並ぶ古い商店街が駅前からふた筋伸びているのが見えるんだけど、夜のまだ八時なのにもうどこも閉まっている。薄暗くて、誰もいない。
 
 ただ、二軒だけ、しめた引き戸の磨りガラスを通して、家の中の灯りがぼんやりと漏れている。

 なんのストーリーもない、「場所」の夢ですね。
 でも、特筆すべきは、この静寂さです。冥界に来てしまったような静けさ。

 脳の興奮が頂点に達したときにだけ見る夢です。
 興奮が高いと、現実との区別が付かなくなる夢を見るときがあって、目覚めたあとも、しばらく考えてしまうんだけど、これは、別のタイプ。もっと上をゆく。

 つまり、ものすごい存在感、臨場感があるにもかかわらず、絶対に現実とは違うという認識がある。それは目覚めたあとってことですけど。なんということのない、どこにでも在る風景。なのに、強烈な隔絶感がある。

 それこそ彼岸と此岸の距離ですね。
 絶対に「ここ」ではないという感覚。でも、絶対に「在る」という感覚。
 強烈なビジョンでもって、その後何十年経っても鮮明に思い返すことになる夢。

 極限まで高まった脳の興奮が見せる夢。シャーマンの幻視もきっとこんなものなんでしょう。
 
 脳が狂気に陥るのを防ぐために見せる夢。強烈な鎮静効果がある。

 父親に言ったら、「わかる。あの夢を見たあとの目覚めは、妙に清々しいんだよな」と頷いてました。
 父も「そこにないもの」をふだんから見てしまうひとなので、やっぱりこういう夢を必要としている。

 原始宗教ってこんなところから始まったんじゃないのかな、っていつも思います。
 脳の中に存在する「あの場所」を冥界と言い換えることから。

 ぼくがやっているのも、「あの場所」を描くこと。そればっかり。


 

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春本番

多くの方たちが、「そうそう」と頷かれると思いますが、春本番は、ここ数日前辺りから始まりましたね。

「今年の春は楽だ! きっといままでいろいろやってきたことが効いてきたんだ!」なんて思っていましたが、どっこい、そう甘くない。ただたんに春らしい気候になるのが遅かっただけで、実感としては例年より一ヶ月ぐらい遅れてやってきました。花粉症の人たちも、きっとそうだと思います。

 となると、身体は日照時間よりはよほど気温を参照してホルモンを変化させているってことなんでしょうね。
 不思議ですよね。暖房しようが、家の中に籠もっていようが、けっきょくは外気温に大きく影響される。

 もう一週間以上前から「なんかあやしいぞ」とは思っていたんですが、ついに昨日どかん! とやられました。
 ずっと心悸亢進で眠れず、胃にも来て、いよいよやばいか、と思っていたところで、なんかすごく変な発作に襲われました。

 猛烈な喉の渇きが発作のようにやってきて、水を飲むんですが、そうするとなぜかパニック発作を起こす。
 水を飲まなければいいんだけど、喉が渇くので飲む。するとまたパニック発作に。
 新しいパターンです。

 パニックのときの、「なにかとんでもないことが起こる、自分の身体や精神がどうにかなってしまう」という感覚がぐーっとこみあげてくるあの不安ですね、久しぶりに感じました。手汗びっしょり。胸騒ぎの最上級。

 寝てても、座ってても、なにをしてても息が上がる。平地にいるのに、標高三千メートル級の山の上にいるみたい。マイッタナモウ...

 そうそう、耳鳴りもやっぱりきましたね。うるさくて煩わしい。ただ、「徘徊」効果か、めまいはありません。ほとんどない。これはすごく助かる。まだしも動けるから。

 前にも書いたけど、日に十五キロから二十キロの徘徊と並行して、かかと揚げ運動、ヒールレイズをワンセット三十回、これを日に数回。とにかく思いついたらやる。歯磨きのときとか、皿洗ってるときとかいつでも。
 
 もう半年ぐらい続けてる? そしたらふくらはぎがそれはそれは立派に成長しました。ふたつの腓腹筋のあいだに、渓谷のような深い溝が現れ、そこに紙が挟めそうなぐらい。ふくらはぎが第二の心臓なら、ぼくのは大排気量の大型エンジン並みです。

 まあ、それでも気温が上がり始めてからは、頭の張りも感じてます。でも、それまでの三割ぐらい。

 あと、花粉症もまったくないわけじゃないです。上記のようにけっこう外を歩くので、花粉浴びまくりなんですが、そのときはなんともない。唯一出るのが、夜中です。真夜中に目覚めると、その十秒後ぐらいから猛烈に目が痒くなる。あきらかに副交感神経の異常亢進が原因。なので激しく腹筋とかして交感神経優位に変えてみる。

 あと、カミツレ水を枕元に置いてあるので、それを一分おきに三回ぐらい点眼。
 なんやかやで、五分ぐらいで痒みは治まります。これが全症状なので、楽は楽です。昔の、目ん玉えぐり出して水洗いしたい! みたいなのから比べれば、ほんとに。

 あと、今朝は久しぶりに解放性幻聴が復活。刺激のない場所、つまり「求心性活動不足」の状態のとき、大脳から聴覚中枢にパルスの逆流が起こる。ひじょうに単純な仕組みですね。

 ぼくの場合はミュートしたオルゴールの音みたいなのが、断続的に聞こえる。音階もあります。
 オリバー・サックスが自分のとこの学生に訊いてみたら、かなりの数が経験していると答えた、と書いてありますから、そんな珍しいことじゃない。誰にでも起こりうる。たしかこのときは音楽幻聴のことだったと思うけど。

 これが、「声」のときには、これもサックスの「音楽嗜好症」に書かれているけど、「カクテルパーティー」のざわめきのように聞こえる。おそらく言語中枢を介していないために、意味はない。ただ、それらしく聞こえるだけ。

 ちょっと前には、この現象に「位置情報」が付加されていることに気付いて妙に感動してしまいました。
 三人の男女の声なんだけど、ひとりはぼくの左、ふたりがぼくの右で、しかもそのふたりにも、手前側と奥側がある。ちゃんと聞き分けられる。すごいな、と思いました。空間認識的な中枢も一緒に働いている。

 夢はあいかわらず天変地異や世界終末ばかり。潜在的不安が見せるんでしょうね。
 だから、小説にも書くし、DVDで「宇宙戦争」を繰り返し観る。トム・クルーズのやつです。もう何度も見ているから筋を暗記しているのに、またこういった体調になると観てしまう。

 これも夢や小説と一緒。抑圧の解放です。作品の筋や質はこの際関係ない。スピルバーグが見るビジョンとぼくが見るビジョンが気味の悪いほど重なっている。それがぼくを強烈に引きよせる。

 子供の頃から繰り返し見てきた夢の場面があの映画の中にはたくさんある。きっとスピルバーグもそうなんだろうな、と思います。

 具体的に言うと、初めのほうの黒い雲と稲妻。あと息子とはぐれてしまう丘での戦闘場面。青い色調の森の中の場面。最後の方のトンネルの中の場面。兵士に促されながら歩く避難者たち。等々...

 記憶にある、一番古い夢にもこういった場面が出てきます。映画は夢を真似る。それを観ることは夢を見ることと一緒。

 

 

 
 

 

 

 

 

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ねえ、委員長

 メールマガジンに書いた文章を、こちらにも載せておきます。
 「ねえ、委員長」の内容について自己解説。

 前作から五ヶ月弱でまた新刊のご案内です。書店さんによっては「ぼくらは
夜にしか会わなかった」と「ねえ、委員長」が並んで平積みになっているとい
うことで、そういうのって、なんか懐かしいなあ、とさえ感じてしまいます。
 二冊が一緒に並ぶっていうのはほんとに久しぶりのことなので。

 「Separation」でデビューしたのが2002年の1月なので、今年の1月で
まる十年経ったということになります。そして、単独の小説の本の発刊も「ね
え、委員長」が十冊目。均すと、年一冊のペースで書いてきたということにな
ります。
 よくまあ十年も続けてこられたな、と感じます。ほとんどは体調との戦いで
した。まったく書けなかった時期もかなりありますし。読者の方たちには深く
感謝してます。読者あっての作家ですから。
 デビュー直後から「十冊書いたら、きっと引退します」って言ってたんだけ
ど、そうでもないみたいです。「だって、ぼくはワンパターンの作家なので、
十冊も書いたら、もうひたすら同じことの繰り返しですから」という理由だっ
たんですけれど、いまやそんな時期はとっくに通り過ぎ、ここでついに一巡し
た感さえあります。ほんと一巡したって感じです。

 「ぼくらは夜にしか会わなかった」を書いているときに、なんかこれって
「VOICE」みたいだなあ、なんて思っていたんですが、今回出た「ねえ、委員
長」は、そのあとに続く「いま、会いにゆきます」「恋愛寫真――もうひとつ
の物語」「そのときは彼によろしく」のテイストにすごくよく似てます。まあ
「陽性」というか、かなりドライブ感がある。実際、「ねえ、委員長」は18
0枚あるんですが、十日ほどで書き上げてますから、速度自体も早かった。これ
も「いあまい」や「恋愛寫真」と共通してます。
 
 理由は結構はっきりしていて、これら短中編の執筆の順序が大きく影響して
いる。
 順序としては先に「ぼくらは夜にしか会わなかった」に収録された作品、次
に「ねえ、委員長」の収録作。


 「ぼくらは夜にしか会わなかった」→「泥棒の娘」
 「夜の燕」→「Your song」
 「いまひとたびあの微笑みに」→「ねえ、委員長」

 こうなります。この六作を連続して書いていました。
 そうすると、精神が振り子のように大きく振れるんですね。ぐっと自分の内
面に深く潜行して、そこから無意識に潜む物語を汲み上げるって作業をすると、
そのあとこんどは、素潜りダイバーが息継ぎのために海面に上昇するように、
精神もバランスを取るために、ぐーと上昇していく。前者が無意識の世界なら、
後者はぼくの在り様、形ですね。その描写。つまり、ひとから見たぼくの姿、
感情、行動になる。これは、飽きるほど言ってきたあのギャップと一緒です。
小説の静謐さと、それを書いたぼく自身の異常なほどのハイテンションと多動
っぷりが、あまりにも違うってやつ。
 東洋思想的に言えば、これこそが世界の真の姿なんだけど、振り幅が小さい
と、これがあんまりはっきり見えてこないもんだから、ふつうはほとんど気付
かれないんですね。どっちも一緒みたいな。でも、ぼくはまざまざと自覚でき
るので、それが面白いです。
 
 それでも、これは無意識なんですが、並べたふたつの作品はなぜかモチーフ
が重なっている。ひとつのテーマの裏表みたいになってる。
 「ぼくらは夜にしか会わなかった」「泥棒の娘」は、孤独な少年と少女が、
夜の世界で心を通わせる、ってことで重なっている。少年の一人称視点も一緒。

 「夜の燕」「Your song」はずばり「走ること」が中心になっている。たぶ
ん、走りたかったんでしょうね、ぼくは。その欲求をを小説で解放している。
体調崩して動けなかった時期。

 「いまひとたびあの微笑みに」「ねえ、委員長」は「書くこと」。どちらも、
登場人物が好きな相手から書くことを促されています。

 なので、この二冊が並んで置かれていることには、けっこうぼくにとっては
大きな意味があるんですね。双子の小説集。それぞれが補完し合って、ぼくと
いう人間を描写している。

 
「ねえ、委員長」はなんか昭和っぽいです。昭和の匂いがぷんぷんする。委員
長という言葉はかなりアナクロで、ぼくが中学ぐらいの頃の少女マンガなんか
には、やたらと題名に「委員長」が使われてました。あの感じですね。委員長
=優等生。それに絡んでくる不良生徒という図式。昭和ですね。王道です。
本が出来上がってから四回ぐらい読み返したんだけど、とにかく疾走してます。
青春(悲しいけど私語に近付きつつありますね)。一日二十枚近い執筆速度そ
のままに――あとから見ると、けっこう矛盾や脱線もあるんだけど、その揺ら
ぎさえもが妙に熱い。
 
 あと「Your song」は女子高生の一人称視点で描かれているんだけど、この
語り口、ほんの少しはすっぱで、ひとり語りっていうより、すぐ隣にいる誰か
に話しかけているような文体はすごく好きです。この語り口で長編一冊書いて
みたい。なんか一瞬で書けちゃいそうです。一番ぼくの地に近い。これもまた、
やたらハイテンションなんですよね。ハイパー女子の青春物語。ひとの十倍ぐ
らい努力しても、だからなに? って感じ。そんなの当たり前でしょ? 書い
ててすごく気持ちいいです。この前のめり感。

 「泥棒の娘」は少年のひとり語りで、これはのんびり屋さん。もう、そのま
んま「恋愛寫真――もうひとつの物語」のふたりです。あのふたりが中学で出
会ってたら、みたいな。なんでしょうね? とにかく、とことんオリジナルで
ユニークな女の子が好きなんですね。気になってしまう。肩入れしてしまう。

 なんにしても、可愛らしい恋愛小説集です。いまどき、こんなロマンチック
乙女チックな恋愛小説、女流小説家のひとでも書かないよな、っていうくらい。
 アマゾンの説明文が、

『 はじめて、ぼくが本気で恋をした君へ。
 書けなかったラブレターのかわりに贈るもの。

あのころ、ついに言えなかったけれど、卒業しても、ずっとずっと好きだった
君へ。実らない恋も悪くない。だって、君をずっと好きでいられるのだから。
恋愛小説家・市川拓司による、かつて実らなかった三つの恋が十数年の時を超
えて動き出す三つの中編小説。
『泥棒の娘』・・・黒板に印象的な絵を描いた風変わりな同級生にひそかに署
名なしの手紙を送った僕。
『ねえ、委員長』・・・どうしようもない落ちこぼれの転校生に、小説家とし
ての才能を見出してしまった、優等生なわたし。
『Your Song』・・・誰にも群れず一人で長距離走の練習に励む私は、歌が抜
群に上手いいじめられっこ・祐希くんを好きになってしまった。   』


 こんな感じですから、へたすると少女コミック以上に「少女漫画」してるか
もしれない。

 今回、初めて、SF要素、ファンタジック要素がまったくない本になったんで
すね。意識はしていないんだけど、結果としてそうなった。例の「振り子」の
せいかも。
 
 これらの説明で、なんかぴくっときたひとは読んでみて下さいな。

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ほぼ、同時期に「いま、会いにゆきます」のフランス語訳も出たんだけど、これが
ル・モンドのインターネット版で紹介されて、けっこう反響がありました。
あの「le mondo」ですもんね。ひたすらありがたいことです。
いま、フランスは日本文化フェアみたいなのやってるんでしょうか。その一環だと
思うんですけど、やっぱり読んでもらわないことには、出す甲斐もないので。

昨夜は夢の中でペットボトルにまたがって空を飛んでました。魔女の箒みたいに。
すごくきれいな、まるで夢のような(夢なんですが)美しい山々を見下ろしながら
気持ちよく大空を舞ってました。薄桃色した桜の花に山一面が覆われていて、
それはもう恐いほどの美しさでした。

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Photo


3月9日に幻冬舎から新刊が出ます。題名は「ねえ、委員長」
 パピルスで発表した「泥棒の娘」と「Your song」それに書き下ろしの「ねえ、委員長」の中編三本。
 「Separation」以来の写真の表紙です。モデルになってくれたのはスターダストプロモーションの吉倉あおいさんと栗田将輝くん。小説のイメージとすごく近いので、読むときに、このふたりを想像してもらってもいいかも。

 「恋愛寫真」とか「いまあい」の高校の頃とか、あんな感じが好きなひとには気に入ってもらえるかもしれません。
 読んでみて下さい。

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