メールマガジンに書いた文章を、こちらにも載せておきます。
「ねえ、委員長」の内容について自己解説。
前作から五ヶ月弱でまた新刊のご案内です。書店さんによっては「ぼくらは
夜にしか会わなかった」と「ねえ、委員長」が並んで平積みになっているとい
うことで、そういうのって、なんか懐かしいなあ、とさえ感じてしまいます。
二冊が一緒に並ぶっていうのはほんとに久しぶりのことなので。
「Separation」でデビューしたのが2002年の1月なので、今年の1月で
まる十年経ったということになります。そして、単独の小説の本の発刊も「ね
え、委員長」が十冊目。均すと、年一冊のペースで書いてきたということにな
ります。
よくまあ十年も続けてこられたな、と感じます。ほとんどは体調との戦いで
した。まったく書けなかった時期もかなりありますし。読者の方たちには深く
感謝してます。読者あっての作家ですから。
デビュー直後から「十冊書いたら、きっと引退します」って言ってたんだけ
ど、そうでもないみたいです。「だって、ぼくはワンパターンの作家なので、
十冊も書いたら、もうひたすら同じことの繰り返しですから」という理由だっ
たんですけれど、いまやそんな時期はとっくに通り過ぎ、ここでついに一巡し
た感さえあります。ほんと一巡したって感じです。
「ぼくらは夜にしか会わなかった」を書いているときに、なんかこれって
「VOICE」みたいだなあ、なんて思っていたんですが、今回出た「ねえ、委員
長」は、そのあとに続く「いま、会いにゆきます」「恋愛寫真――もうひとつ
の物語」「そのときは彼によろしく」のテイストにすごくよく似てます。まあ
「陽性」というか、かなりドライブ感がある。実際、「ねえ、委員長」は18
0枚あるんですが、十日ほどで書き上げてますから、速度自体も早かった。これ
も「いあまい」や「恋愛寫真」と共通してます。
理由は結構はっきりしていて、これら短中編の執筆の順序が大きく影響して
いる。
順序としては先に「ぼくらは夜にしか会わなかった」に収録された作品、次
に「ねえ、委員長」の収録作。
「ぼくらは夜にしか会わなかった」→「泥棒の娘」
「夜の燕」→「Your song」
「いまひとたびあの微笑みに」→「ねえ、委員長」
こうなります。この六作を連続して書いていました。
そうすると、精神が振り子のように大きく振れるんですね。ぐっと自分の内
面に深く潜行して、そこから無意識に潜む物語を汲み上げるって作業をすると、
そのあとこんどは、素潜りダイバーが息継ぎのために海面に上昇するように、
精神もバランスを取るために、ぐーと上昇していく。前者が無意識の世界なら、
後者はぼくの在り様、形ですね。その描写。つまり、ひとから見たぼくの姿、
感情、行動になる。これは、飽きるほど言ってきたあのギャップと一緒です。
小説の静謐さと、それを書いたぼく自身の異常なほどのハイテンションと多動
っぷりが、あまりにも違うってやつ。
東洋思想的に言えば、これこそが世界の真の姿なんだけど、振り幅が小さい
と、これがあんまりはっきり見えてこないもんだから、ふつうはほとんど気付
かれないんですね。どっちも一緒みたいな。でも、ぼくはまざまざと自覚でき
るので、それが面白いです。
それでも、これは無意識なんですが、並べたふたつの作品はなぜかモチーフ
が重なっている。ひとつのテーマの裏表みたいになってる。
「ぼくらは夜にしか会わなかった」「泥棒の娘」は、孤独な少年と少女が、
夜の世界で心を通わせる、ってことで重なっている。少年の一人称視点も一緒。
「夜の燕」「Your song」はずばり「走ること」が中心になっている。たぶ
ん、走りたかったんでしょうね、ぼくは。その欲求をを小説で解放している。
体調崩して動けなかった時期。
「いまひとたびあの微笑みに」「ねえ、委員長」は「書くこと」。どちらも、
登場人物が好きな相手から書くことを促されています。
なので、この二冊が並んで置かれていることには、けっこうぼくにとっては
大きな意味があるんですね。双子の小説集。それぞれが補完し合って、ぼくと
いう人間を描写している。
「ねえ、委員長」はなんか昭和っぽいです。昭和の匂いがぷんぷんする。委員
長という言葉はかなりアナクロで、ぼくが中学ぐらいの頃の少女マンガなんか
には、やたらと題名に「委員長」が使われてました。あの感じですね。委員長
=優等生。それに絡んでくる不良生徒という図式。昭和ですね。王道です。
本が出来上がってから四回ぐらい読み返したんだけど、とにかく疾走してます。
青春(悲しいけど私語に近付きつつありますね)。一日二十枚近い執筆速度そ
のままに――あとから見ると、けっこう矛盾や脱線もあるんだけど、その揺ら
ぎさえもが妙に熱い。
あと「Your song」は女子高生の一人称視点で描かれているんだけど、この
語り口、ほんの少しはすっぱで、ひとり語りっていうより、すぐ隣にいる誰か
に話しかけているような文体はすごく好きです。この語り口で長編一冊書いて
みたい。なんか一瞬で書けちゃいそうです。一番ぼくの地に近い。これもまた、
やたらハイテンションなんですよね。ハイパー女子の青春物語。ひとの十倍ぐ
らい努力しても、だからなに? って感じ。そんなの当たり前でしょ? 書い
ててすごく気持ちいいです。この前のめり感。
「泥棒の娘」は少年のひとり語りで、これはのんびり屋さん。もう、そのま
んま「恋愛寫真――もうひとつの物語」のふたりです。あのふたりが中学で出
会ってたら、みたいな。なんでしょうね? とにかく、とことんオリジナルで
ユニークな女の子が好きなんですね。気になってしまう。肩入れしてしまう。
なんにしても、可愛らしい恋愛小説集です。いまどき、こんなロマンチック
乙女チックな恋愛小説、女流小説家のひとでも書かないよな、っていうくらい。
アマゾンの説明文が、
『 はじめて、ぼくが本気で恋をした君へ。
書けなかったラブレターのかわりに贈るもの。
あのころ、ついに言えなかったけれど、卒業しても、ずっとずっと好きだった
君へ。実らない恋も悪くない。だって、君をずっと好きでいられるのだから。
恋愛小説家・市川拓司による、かつて実らなかった三つの恋が十数年の時を超
えて動き出す三つの中編小説。
『泥棒の娘』・・・黒板に印象的な絵を描いた風変わりな同級生にひそかに署
名なしの手紙を送った僕。
『ねえ、委員長』・・・どうしようもない落ちこぼれの転校生に、小説家とし
ての才能を見出してしまった、優等生なわたし。
『Your Song』・・・誰にも群れず一人で長距離走の練習に励む私は、歌が抜
群に上手いいじめられっこ・祐希くんを好きになってしまった。 』
こんな感じですから、へたすると少女コミック以上に「少女漫画」してるか
もしれない。
今回、初めて、SF要素、ファンタジック要素がまったくない本になったんで
すね。意識はしていないんだけど、結果としてそうなった。例の「振り子」の
せいかも。
これらの説明で、なんかぴくっときたひとは読んでみて下さいな。
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ほぼ、同時期に「いま、会いにゆきます」のフランス語訳も出たんだけど、これが
ル・モンドのインターネット版で紹介されて、けっこう反響がありました。
あの「le mondo」ですもんね。ひたすらありがたいことです。
いま、フランスは日本文化フェアみたいなのやってるんでしょうか。その一環だと
思うんですけど、やっぱり読んでもらわないことには、出す甲斐もないので。
昨夜は夢の中でペットボトルにまたがって空を飛んでました。魔女の箒みたいに。
すごくきれいな、まるで夢のような(夢なんですが)美しい山々を見下ろしながら
気持ちよく大空を舞ってました。薄桃色した桜の花に山一面が覆われていて、
それはもう恐いほどの美しさでした。