これを自己紹介にします 写真もあるし
1962年 東京調布生まれ 獨協大学卒 大学では体育会の陸上部に所属 800mの選手でした。実業団選手を目指すも練習中に激しく体調を崩し断念。その後もバイクで日本一周したり、クロスカントリーやマウンテンバイクのレースに出たりと、とにかくひたすらアクティブな人生を送ってきましたが、体育大の新体操部出身でエアロビックダンスのインストラクターだった奥さんと(高校の同級生でした)27歳で結婚、そしてすぐに子供が出来て、なぜかそれを期に小説を書き始めました。100%体育会系から、がらりと180度の転換です。1997年頃からネットで小説を発表し始め、2002年1月に「Separation」でデビュー。だいたい年一冊ぐらいのペースで恋愛小説のみを発表し続けいまにいたります。
以下は以前に書いた記事ですが、それを自己紹介とさせてもらいます。これを読むと、だいたいぼくが何者か分かると思います。
**************************************************************
ここ五年ぐらいになって、ようやく自分が何者なのか、この不具合がどのような原因から来るのかを知ったわけですが、それまではずっと、自分をただ「病人」とだけ思ってました。もう三十年ですから、その認識が大きく変わることはありません。なんであろうと、問題はこの「具合の悪さ」ですから。
ただ、対処の方法というのは、自分を知ることによって見つけやすくなった。
なにが起きているのか?
生まれつき前頭葉の働きがひとより弱いために、脳にブレーキが利かず、神経が著しく活性化している。
もうそのひと言に尽きます。様々な症状は、それがどこに出るかによって違って見えるだけで、根っ子はつねに一緒。
神経が極度に活性化していると起こること。
感覚が過敏になる。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、さらには気温、気圧、湿度、化学物質、電磁波、血中の炭酸ガスや乳酸の濃度、あらゆるものに、大袈裟に反応してしまう。
感情も大袈裟になる。歓喜、悲しみ、不安―――ただ、ぼくは怒りの感情だけが自覚するレベルまで高まらないので、それがひとと違うところかもしれません。
精神科の先生からは、前頭葉の働きが弱いひとの中でも、またいくつものサブカテゴリーがあって、あなたはそのうちの「生まれながらの民主主義者」と呼ばれるグループだと言われました。度を超えてナイーブで協調的、争いを極端に嫌い、怒りよりも悲しみに流れやすい。論理ではなく直感、視覚が発達している。
まあ、とにかくありえないぐらいナイーブなわけです。主義ではなく、本能的に無抵抗。攻められたら、ぼくにできるのは逃げることだけです。そういう生物なんですね。
自分に向けられたものでなくても、悪意、独善、不寛容を目にしただけで、胸が悪くなるほどの不安を覚える。パニックに陥ってしまう。
この辺は、極度に活性化した神経が防衛本能みたいなものに作用しているんだと思います。
アーヴィングが事故や不寛容を病的なほど恐れていたり、ティム・オブライエンが核戦争を恐れるのと似ています。オブセッションは小説を描く大きな動機になる。
先日、中学時代親しかった友人と数十年ぶりに話をしたのですが、彼もぼくと同様、誰かが誰かを否定しているのを見ているだけでもうたまらなくなって逃げ出してしまう、と言っていました。それが創作物であっても同じだと。これもぼくと一緒です。だから親しくなれたんでしょうね。他の仲良かった友人も、みな利他的で、寛容で、ひとの悪口を言わない優しい少年たちばかりでしたし。むしろいじめられる側だった。
また、脳の興奮は、潜在意識、記憶、夢といったものを現実と同じ比重にしてしまいます。
前述の友人でも、ぼくはずっと彼とある場所へふたりでサイクリングに行ったことを夢だとばかり思っていたのですが、それを言ったら、「本当のことだよ。ふたりで行っただろ?」と言われ、かなり驚きました。
逆に想像していたことを現実の記憶と勘違いすることもあるので、ぼくにとって記憶はけっこういいかげんなものだという思いがあります。
脳の興奮は不眠に繋がります。ぼくは生まれたときからずっと不眠症ですが、それが「眠り」をぼくの中で特別で、ひどく神秘的なものにしているのかもしれません。
潜在意識は、ぼくにとっては創作の基本です。ここと繋がらずに小説を書くことはできない。
繰り返し書いていますが、「あらかじめ夢を見ることによってひとは自分の精神の平衡を保っている」のだとすれば、潜在意識を通じて小説を書くことが、治癒効果をもたらすのだという話にも理由がつきます。
よく思うのはフロイトの自由連想法ですね。あれに近いんじゃないかと。前の言葉が次の言葉を引き出す。そうやって抑制が解かれた状態でテキストを綴っていくと、結局は夢を見たのと同じことになる。
こうやって描かれたものは、おおむね夢のような手触りになる。テーマとかモチーフは関係ありません。
なにげない日常の生活でさえも、読み手はそこになにか不思議な手触りを感じる。
おそらくは読み手の神経の活性度と、読んでいるときの印象は関係している。
活性度が高いほど、テキストに反応して潜在意識が顕在化してくる。共鳴ですね。
「なんだかわからないけど」とか「うまく言えなくてもどかしいんだけど」とかいう感想を寄せて下さる方なんかは特にそうかも。だって言語化できないのが潜在意識ですから。 論理ではなく直感です。前頭葉ではなく側頭葉的。
そして、死に対する感受性。自分や愛するものに対する死の不安。これも例の行きすぎた防衛本能と関連してそう。極度の内気さや奥手もぜんぶそうですね。
けっこうこの濃度がひとの言動を大きく左右しているかもしれない。
ぼくがこういった不安をそのまま小説に書くのは、上記の「自由連想法による抑制の解放」と繋がっていそうですね。無意識のまま書いているんだけど、気付くとこんな話ばっかり。
初めの頃は、「命に関わるから中絶しろと言われたのに、無理してぼくを生んだばかりに心身を壊し、そのためにつねに死を口にしていた母をずっと支えながら生きてきたから」と言っていたのですが、もっとこの不安は根深いような気がします。生まれる前からこの不安は決まっていた。
行きすぎた死への感受性。閉所恐怖、乗り物恐怖、潔癖症なんかも、その影響を感じます。ぼくは生モノが苦手で、完全に火を通したモノしかなかなか食べないんだけど、これも本能的に感染を遠ざけようとしているんでしょうね。よく知らないひとに触れられるのが苦手なのもきっとそうだし、ちょっとした匂いにすぐパニックに陥るのもそう。
あきらかにひととは違うんだけど、だからこそぼくは作家になれたのだろうし(勉強はまったくできませんでしたから)、これらすべてのことを書くために自分はいるんだろうとも思っています。
度を超えたナイーブさというある種の狂気を描くこと。とことん誠実に、じっと耳を澄ませ、自分のうちなる声を掬い取り、物語にする。それ以外のことはやろうとしてもできないし、それなら他の作家さんたちがすでにちゃんとやっている。
いつもいう多様性、相対性ですね。それはきっと小説の世界でも同じはず。
(まあ実際にはそうでもなかったんでびっくりしましたが。お師匠さんは「それを父権主義と言って、センチメンタルでナイーブな作家ははるか昔から攻撃されてきたんだ」と言ってました)
こんなことを書いてきたのは、ちょっと精神的に不安定になっていて、こうやって書くことで、これもまた治癒効果になるのかな、と思ったりしたからです。
体調の悪さがピークに達し、奥さんにずっと背中をさすり続けてもらっていたんですが、そしたらあるとき、痛みがすっとなくなって、それはそれで良かったんですが、こんどは心が不安定になってしまった。
理由はいくつか考えられます。
ひとつは、けっこう精神医学の世界ではよく言われていることなんだけど「心が強い人間は身体に出る。身体が強い人間は心に出る」っていうのがあって、けっきょくのところどちらかの選択でしかないという考え。
十一月には月間500kmぐらいは歩いたので、それがなにか作用しているように思います。
走るのと違い、歩くのはなにか「地力」のようなものを育む気がします。しぶとく、粘り強くなる。
つまり「身体が強く」なった。
けれど、一方でまた痩せましたから、感受性はさらに高まってしまった。ほとんど神経が剥き出しの状態(鍼灸の先生には、ここまで腰の肉が削げて、それで大丈夫なの? って訊かれるし、奥さんからは、ここまで仙骨の形がはっきり分かるひと初めて見た、とも言われました。けっこう食べてるんですけどねえ)。
まあ、けっきょくそれが心に来てしまった。
それでも昨日辺りから、かなり楽になってきたので、今日はこれを書いています。
どうなるか分からないけど、とりあえず歩き続けようとは思っています。行き着くところまで行ってみる。
でも、ほんと不思議なんですよね。心が楽になると、また背中や胃が痛くなる。すごいなあ、と思います。
ある意味律儀というか。少しぐらい手を抜いてくれたっていいのに。
後天的な病気と違い、これは生来の体質なので難しいのは分かっていますが、自助努力、創意工夫で、サバイブしていく。天は自ら助くる者を助く、とも言いますし。それに嘆いてばかりいずに、自分から動いていくと、その先々で、いろんなひとたちから助けの手を差し伸べてもらえるんですね。ぼくの場合は奥さんがその一番のひとだし、それ以外にも、すごく頼りになる人達がいっぱいいる。感謝、感謝です。