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追想発作

 「ぼくらは夜にしか会わなかった」オフィシャルサイト

 http://www.shodensha.co.jp/bokuyoru/

 過去最高レベルの頻度で追想発作が起きています。理由もなくパニック発作に襲われることもあるので、脳の興奮がかなり高くなっているんでしょう。おそらくは体重が減ったことと関係がある。ジョブズの自伝読んでたら、脂肪が癌の痛みを緩和する、みたいな記述があったので(ジョブズは脂肪がないので痛みがひどい)、脂肪というのは感覚を鈍くする作用を持つのかもしれない。

 夜眠れないので日中一時間ほど昼寝するのですが、昨日は起きてすぐに歩きにでたために、なんだかとても奇妙な感じに。半分眠りながら現実の世界を歩くと、すべてが夢の中の出来事のように感じられる。薄曇りの天気も影響していたように思う。

 気付くと、ここ何十年も近付いたことのなかった場所に。中学の頃、夏休みの宿題で川面に浮かぶ小舟を描いたことがあったのですが、まさにその同じ場所に当時のまま小舟が舫われてあって、一瞬ですが、自分が時間を遡ったかのような感覚に陥りました。あの頃でさえ、すでに朽ちかけた小舟が、なぜいまもまだここに? 

 おそらくは、これがきっかけで、一気に追想発作の頻度が高まったのではないかと思います。脳の機能のなにかを解放してしまった。

 幾つもの条件が重なった。

 夢は記憶を種につくられる物語。追想と似ているけど、抑制が解かれている分、無意識を強く映します。
 無意識の世界は混沌としています。人間の原型が見る世界。

 すべての境が曖昧になる。彼岸と此岸、我と彼、我と世界、過去といま。

 「voice」は「我と彼」が曖昧になった物語。自己と愛する対象がとけ合う感覚。
 「separation」は時の流れが曖昧になった物語。
 「いま、会いにゆきます」は彼岸と此岸。「恋愛寫真」もやっぱり時の流れ。生体時間。
 「そのときは彼によろしく」も彼岸と此岸、夢とうつつが曖昧になった物語。

 夢の中でなら、ぼくらはもうここにいないひとたちと会うことが出来る。失われた過去に戻ることも、かなわなかった恋をもう一度繰り返すことも。

 物質主義的な生き方ではけっして知ることのない世界です。
 みんなこんな世界があることを忘れかけている。

 別に夢でなくてもいい。
 たとえば黄昏どき。脳の機能が切り替わる瞬間、なにかに触れた気持ちになる。逢魔が時とも言いますが、もうこの世界にはいない誰かの気配をすぐ近くに感じる。過去の懐かしい思い出が蘇り、思わず涙が溢れてくる。

 夜もそう。
 誰もいない闇の中にひとり立ち星や月を見上げていると、なにか不思議な感覚がそっと寄り添ってくるのが分かる。

 黄昏を味わう。夜を味わう。
 そうすると、物質社会の向こうにある豊饒な美に触れることができる。

 奥さんとふたり誰もいない広大な田園地帯を歩きながら、月を縁取る雲の色の移ろいに思わず見入ってしまう。
 昨晩、彼女が言いました。
 「他のひとたちは、なにを楽しんでるのかしらね?」
 「わからない。カラオケ? フェイスブック?」
 「こんなに素敵なことがあるのに」
 「おれたちがおかしいんだよ。ふつうのひとはこれを楽しいとは思わない」 

 でも、ほんの百年昔はみんなこういうふうに自然を楽しむ、自然を嗜む生き方をしていたはず。

 自分の中の原始的な衝動。森の中に身を置きたいとか、清明な水に触れたいとか、野山を駆け回りたいとか、そういった衝動には、他のなにものにも代え難い悦びがあります。

 それを捨て去って得たものは。

 無意識世界と決別し、世界の表層を漂いながら、つねに満たされぬ思いを抱く。

 たとえば、走ると、眠っていた遺伝子が目覚め、ものすごくたくさんの酵素が分泌される。身体を強くする酵素ですね。粗食も同じ。長寿遺伝子が目覚め、300種類? の酵素が分泌される。

 でも、逆から見れば、昔はみんないまよりもよほどよく歩き走り、いまほどは大食いもせず、この遺伝子が働くことは当たり前だった。 これが普通だった時代がある。

 いまは、それをすべてオフにした時代。肉体的にも精神的にも、いくつもの機能を停止させ、それを進歩した道具や医療で補いながら生きている。

 それに見合った文化が育ちつつある。
 
 そこにうまく馴染めないひと。 あるいは、なにか小さな違和感、兆しのようなものを感じているひとたち。

 喧噪から離れ、鳥の声や木々のざわめきしか聞こえない場所で、黄昏を味わってみる。
 そこでなにかを感じたら、それがぼくの小説の目指しているものです。

 宵闇や黄昏、田園を吹き抜ける風、そういったものが醸す感情を言葉で呼び起こしたい。
 夢の手触りを持つ小説。
 
 「ぼくらは夜にしか会わなかった」は、それを一層強く感じながら書いた小説集です。


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「装丁」

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「Contigo para sempre」 Portugal

 「ぼくらは夜にしか会わなかった」の装丁の評判がすごくいいです。ぼくは装丁に恵まれた作家なんでしょうね。
 上の表紙のデザインもすごくいい。ぼくの心象風景そのままといった感じで。伝えたいのは「思い」よりもこの「手触り」。たぶん、読んだひとがいままでに一度も感じたことのない感覚。だから言葉にはできない。なんだか分からないけど、ある気持ちになり、それがずっと続く。それこそが実はぼくがいつも感じているものです。それを体験してもらいたい。

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