前回からの続き
ぼく自身が動悸と不整脈が止まらず、それを抑える民間療法がないかネットで探している中で、多くの方たちが、やはり動悸や過呼吸の発作にここで初めて襲われて苦しんでいるということを知りました。
パニック発作はやっかいなのはむしろ予期不安なので、すぐに心療内科やメンタルクリニックに行って治療を受ければ、予後はぐっとよくなります。繰り返さないようにすること。そうすれば治ります。ぼくは最初の発作から心療内科に行くまでに十年以上掛かってしまった。
まあ当時は心療内科そのものがほとんどなかったですし。いまならば、対処の方法も違っていたのにと思います。
あと不安レベルが高いときはカフェインは控えたほうがいい。完全に絶つと、それがストレスになるので、「適量」に抑えるってことですね。徐々に減らしていく。
不安な記憶を緩和するのは幸福な記憶。不安が込みあげてきて、恐怖の瞬間を思い出しそうになったら、楽しかったときのことを思い出す。これを習慣にすると、徐々に不安な記憶が薄らいでいく。
現地に入って被災者の方たちの治療を行ってきた白石宏トレーナーからお聞きしたんですが、ショックを受けた方たちは一様に身体が冷たくなっている。もう一ヶ月経っているのにいまだに身体が冷えている。
白石さんが温かい手で触れるだけで、それまで眠れなかった人が、その場で眠ってしまったそうです。
「触れる」と同時に「温もり」ですね。これが大事なんでしょう。身体を温めてあげる。不安が冷えを呼び込むし、冷えが不安を誘うとも言える。
ぼくもずっと、手足首から先が氷のように冷たい状態が続いています。なので足は靴下に貼るタイプのカイロで一日中温め、手は家の中でも綿の手袋をはめています。
不安、緊張は、全身の末端の毛細血管を塞いでしまう。そうやって獣の頃は外敵から襲われても出血を最小限に抑えられるようにしてきたんでしょう。前にも書いたけどフィードバックですね。手足を温めて、脳に「不安じゃないよ」というメッセージを送る。腰湯なんかもいいでしょうし、ぼくは蒸気式の足浴器で一日に何度か脚を温めるようにしています。
自分のパートナーが、子が、親が、不安に精神状態を乱していたら、温かい手でゆっくりとさすってあげる。脚でも手でも背中でもお腹でも。大丈夫、って言いながら。あるいは楽しかった日の思い出を語りながら。
C触覚型の神経線維というやつは、これに強く反応し、心地よいと感じて安心するんですね。もともと人間はそのようにできている。
鍼灸師の方は患者に触れるとき、両手を猛烈に擦り合わせるんですね。摩擦熱で手を温かくする。あと血行もあるだろうけど。触れる前にこうすることで、手の温度をあげておく。
生きているってことは、温かくて、柔らかくて、動いているということ。だから温め、滞りや凝りをほぐし、動かす。
実際、「徘徊」はあなどれない。ぼくには一番これが効いているような気がする。ほとんど朝から晩まで、ずっと徘徊している。家族は鬱陶しいだろうけど、これのお陰で、どうにか倒れずにいるような気がします。書斎から居間、そこから玄関、キッチン、洗面所、さらに二階に上がってまた降りてくる。これをずっと続けている。
ひとつ気付いたのは、重心を後ろに置いた方がいい。前のめりにすると目眩がひどくなる。狭いところをぐるぐる回っているので、たんに目が回っているだけかもしれないけど。踵をきちんと床に着けて、床をどんどんと鳴らすような感じで。足が痛くなるのでスリッパは履いてます。
血圧上昇には足裏叩きが効果あるって読んだので、それからこの歩き方に。
実際、このどんどん歩きを五分ぐらい続けると、頭の張りが軽くなる。ぼくだけかもしれないけど。
あと腕も振る。首肩の血流を上げ、脳に血を送ってあげる。
ふくらはぎは第二の心臓って言われているけど、徘徊することはこのポンプ作用を効果的に使うってことでもあるんですね。そうやって脳の血流を増やしてあげる。
つい先日、夜中にひどい動悸で目が覚めたんだけど、もしや...と思って、仰向けに寝たまま、両足首を交互に、「立てる、伸ばす」ってやってみたら、意外なほど早くに動悸が治まってしまった。要は寝たまま歩いているときのふくらはぎの動きを再現してみたわけです。
ぼくの感覚だと、動悸は心臓の一回の拍動が大きくなる感じ。つまりは脳からの指令で、心臓が血流を増やそうとしている。なので、両ふくらはぎのポンプ作用でそれを補ってあげる。すると心臓は、ならこっちは普段通りでいいや、みたいに拍動を抑えてくれる。つまりはそういうことだと思います。
いまは、頭に冷却剤、手には手袋、腰に電子レンジ加熱式ゆたんぽ、足裏にカイロという状態で、家の中をぐるぐる歩き回る毎日。ひと頃よりも落ち着いてきて、いまは日に一万五千歩ぐらいまで落ちてきた。
大丈夫、大丈夫、元気、元気、って言いながら。あと経文ですね。ぼくはまったくの無宗教だけど、前回書いたよように、言葉はそれ自体に力がある。ならば信心がなくても、なにか効果があるかもしれない。何千年も生き延びてきた言葉はきっとすごいんじゃないかと思いなし、良さそうなところを数行、ない頭でどうにか暗記して、それも呟いてみる。
思いつくことは片端からやってみる。
もう少し体調がよくなってきたら、徐々に屋外のランニングも再開しようと思っています。
あと、それから「笑い」を忘れちゃいけない。
高柳和江先生の笑医塾では、一日五回笑って一日五回感動しようと、提唱しています。
ぼくは主に YouTube でおもしろ画像を見つけては笑っています。
「funny」とか「laugh」で検索すると世界中のおもしろ画像を見ることができます。
「laugh」の最初に出てくる「Hahaha」はなんと再生回数一億七千万回以上。これにはつい誘われて笑ってしまいます。赤ちゃんの笑いは最強ですね。
笑いは神経のバランスを整え、免疫力を高めてくれます。
ぼくは昔の言い方で「不安神経症」というやつを、もう三十年ずっと患い続けているわけです。
ずーーーと、不安。
「ティファニーで朝食を」のホリーではないけれど、もし名刺を作るなら「市川拓司 治療中」とでも書きたいくらい。
いま日本中が、あるいは世界中のひとが不安に襲われて、つらい思いをしている。
その中でも病的なほどに不安を感じているひと、その気持ちがぼくには痛いほどよく分かる。
不安というのは「生きたい! 生きて欲しい!」と願う心の現れなんですね。こういったときには当然の反応。
ぼくの小説は、そういうひとたちのためにもあるので、いずれ小説でなにかできればと、そんなふうにも考えています。