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近況 2

陽光

 目眩が継続中。大きいのはあれから一度。あとは小さいのが四六時中。耳鳴りもですね。このふたつはだいたいいつもセットになってます。
 調べると、これを「上衝」と呼ぶらしい。春の木の芽どきの不定愁訴。不眠もひどいし、まさしく、これ。
 春に限らず、ぼくのようにすべてが上に昇っちゃうのを「上実下虚」と言うらしい。

 気が上る。血が上る。魂が上る? 
 なんだか分からないけど、とにかく上る。
 肉体の中に収まっているなにかが、空に向かおうとしている。それはヘリウムガスみたいに空気よりも軽くて、放っておけば天に昇ってしまう。
 頭皮、頭の天辺から血が滲み出す。頭蓋骨まで上がってきて、行き場を失ったなにかが、毛穴を通ってさらに上に行こうとしている。頭皮にたくさんの小さな血のかたまりがある。直径二、三ミリ。「なにか」は空気に触れると結晶化するのか? 

 それに、気付くと爪先立ちしている。皿をシンクで洗っているときとかでも、無意識のうちに踵が上がってる。ヘリウムガスを詰めた人型の風船みたいに、はんぶん宙に浮き掛けている。

 こういうときは空を飛べそうな気がするんですね。そうやって子供のときから高いところに登っては飛び降りることを繰り返してきた。

 昨晩見た夢。
 どこかの町の夜の道を四つん這いになって獣のように駆けている。すごく気持ちいい。一歩がおそらく十メートルぐらいはあって、なかば宙を飛んでいる感じ。あまりの気持ちのよさに遠吠えをする。でも、並行して走っている国道に出たら車に轢かれそうだから、あっちに行くのはよそうとか、けっこう冷静に考えてもいる。

 その次の夢。
 夜空に垂れ込める厚い雲。その上か中で、発光体がいくつも乱舞している。息を飲むほど美しい。「未知との遭遇」のあれ。ぼくの夢の定番。ぼくは資材置き場の塀によじ登り天に手を差しのべる。すると、指先に雲が触れる。「雲だ!」と言って悦ぶ。はるか眼下で、父が「もう帰ろう」とぼくを呼び戻す。そこで目が覚める。

 脳が興奮しているとき、ぼくは猿に戻っているのかもしれない。密林の樹冠で暮らしていた頃。
 だから、「昇る」。これは猿の頃の夢。

 ひとに帰るには、「上実下虚」ではなく「上虚下実」にならなくてはいけない。ひとは地上に降りた獣なのだから。

 なので、昨日から「馬歩」をやってます。
 あるひとから「脚が太くなりましたね」と言われて悦んで、家に帰って測ってみたら、腿の一番太いところでも三十センチ台しかなく、じゃあ、もっと細かった頃はどのくらいだったのか? とちょっと恐くなりました。三十五センチとか? 成人男性として、これはさすがに危険域なのでは。

 これも下虚と呼ぶのだろうか? 
 肉体が希薄になると、精神が前面に出てくる。心の在り様そのものが日々の関心事になる。
 ベッドに横になり、小さく音楽を流して目を閉じる。最近よく使うのはLou Rhodesの曲。
 あと、香を焚く。沈香を二に対して白檀を一。このブレンド。
 すぐに心があるモードに入る。いつも言っている、感傷、ノスタルジー、追憶、夢、そういった世界。
 そこに浸る。耽る。ちょっと不健全な感じもするけど、どうせ目が回って動けないし、とか思いながら、日がな一日。そんな日々。
  

 

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近況

 曲はリトルマーティンを使ってます。弾きやすくて、もうこの五年ぐらいずっと愛用。

 数日前に、一年ぶりぐらいにメニエルの大きな発作を起こし、いまもまだ目眩が...
 そのときは同時に突発性頻脈の発作も起こしたので、そうとうに自律神経が乱れていたんだと思います。
 真夜中だったので、もし治まらなかったら救急車を呼んでもらおうと思ったのですが、我慢していたらやがて治まってくれました。

 食事とランニングという治療法が間違っていたのか。体重減はまだ止まらないので、ここにも問題が。
 難しいです。小麦粉を抜くという食事では、ほんとに食べられるものが限定される。太るのが難しい。
 もういいか、と思うときもあるのですが、たとえば昨晩も、久しぶりにシューマイを食べ、これは皮が小麦粉ですから身構えていたら、案の定夜中に、激しい悪寒と、そのあとに来たのが発熱と大量の発汗。体温調整が完全に狂ってしまっている。年齢的に言って、男性の更年期とも考えられますが、小麦粉が引き金になっている可能性がやはり大きい。アレルギーなのか不耐症なのか。少量の摂取と大量にとることの違いは?
 
 脳の興奮が高まると、おもしろことがいろいろ起きます。夢はますます現実味を帯び、より美しくなっていく。
 名画ならぬ、名夢ですね。名作が次々とつくられる。現実にはありえない幸福感を味わうことが出来る。ずっと夢を見ていたいと願うようになる。目覚めてからも、ずっと夢を反芻し続けて一日を過ごすようになる。そのぐらいいい夢。
 なにげない、例えば奥さんとふたりで小川に笹舟を流しているような、そんな夢なんだけど、特筆すべきは、そのときの幸福感ですね。純度の高い、おそらくは夢特有の失見当識とも関連してるんだろうけど、とにかく、非現実的な悦びがある。愛と美と慈しみだけでできている世界。夢の中だけにしか存在しない愛の国。 

 けっきょく、それを小説に描くことがぼくの仕事なんでしょう。ある種のバランスを欠いた、それこそ失見当識的な愛の物語。ぼくにはリアルでも、ほかのひとたちにはそうでない世界。
 

 

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