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 ぼくの部屋の「草」たち。

 120cm水槽は、ちょうど東向きの窓から朝日が差し込んでいる状態。ゆらゆらと影がゆれて、美しい。
 「ミミカキグサ」はタヌキモ科の食虫植物。と言っても、小さな捕虫袋に微生物を捕らえて栄養にしているので、言葉から連想するほどダイナミックなものではありません。葉っぱの大きさも数ミリですし。こういったちまちました植物が大好きなんです。
 その下の観葉植物は、サトイモ科のアグラオネマシルバークィーン。もううちに来てずいぶん経ちます。5年以上、へたしたら7年とか8年とか、それくらい。何度か土を入れ替えて、鉢でもこんなに長生きしています。妻に言わせると、ぼくの栄養をこの植物が吸い取っているんだとか。
 サトイモ科の植物も大好きです。水草のクリプトコリネが一番上の写真にも写っています。

 昨日、実家に行って、親と話をしたのですが、ぼくの「不眠」は生まれつきだったという結論に。
 とにかく、眠らない赤ん坊だった。夜泣きもすごいし、壁の薄いアパートですから、親は一晩中、ぼくを背負って外を歩いていたそう。あと、声が響かないように、ぼくの上に何枚も新聞紙をのせていたって話も。さすがに嫌がって、両手を突き上げるもんだから、そのたびに新聞紙がひょこひょうこ上下して、その動きがコミカルでおもしろかったって。

 二、三歳のころの記憶ははっきりとあるのですが、まず毛布のへりを両脚の親指と人差し指で摘む。それから、毛布の首のところに母親がタオルを縫いつけてあるのですが、それを口にくわえる。そして、母親に耳の穴に指を突っ込んでもらい、こりこり擦ってもらう、さらに、「ねんねんころり」の子守歌を何十回もリピートして唄ってもらう。これだけの「儀式」を毎晩していましたが、それでも眠れず、天井の板の模様を、うんざりしながら見上げていた日々。

 柱時計が嫌でしたね。ボーン、ボーンって音が鳴るから、何時だか分かってしまう。一回だけのときは、それが12時半なのか、1時なのか、1時半なのか分からなくて、それも嫌だった。

 小学校ぐらいからは本格的な不眠少年に。ぼくは「乗り物で眠る」ってことがまったくない子供でしたから、電車でもバスでも眠らない。それもちょっと嫌でした。遠足とかでみんなが疲れて眠っているとき、ひとり起きているのが。

 「病気」からあとは、「不眠」にも様々なバリエーションが生まれてきました。
 眠りに落ちる瞬間、その「ストンッ」って感じに驚いてはっと目が覚めてしまう(分かりづらいですね、この感じ)。それが一晩中続いて眠れないってこともありました。
 あとは、驚愕夢で目覚めるとか、睡眠時無呼吸症で苦しくなって目が覚めるとか、なんかいろいろなパターンを経験してきました。

 ひとつだけ、いいことは、生まれつき眠らない人間だったので、あんまりそれを苦痛に感じないってことですね。睡眠薬も飲んだことないし。眠れないのがぼくの常態なので、疲れるし、ヒマだけど、それを気に病むあまり、よけい眠れなくなるってことがない。たいして、「いいこと」でもないか...

 おそらく生まれながらに、「睡眠物質」が足りない人間だったんでしょうね。まあ、仕方ありません。
 このぼくの傾向が、今度の新作にも、そのまま投影されています。

 

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クサギ

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 うちからちょっと車を走らせたところに森があって、そこに咲いていました。
 クサギって名前を知らなくて、ハニーサックルに花の匂いが似ているから、スイカズラ科でネットで検索したんだけど出てなくて、妻が自分の植物図鑑で調べて、クマツヅラ科のクサギだって判明。終わりの二文字、「ずら」の音だけはあってたんだけど。ほんといい匂い。「クサギ」っていうのは臭木のことで、葉っぱなんかは臭いらしいんだけど、花は芳香。ジャスミンなんかにも似ている。どこにでもある木らしいから、みなさんも目にしていることでしょう。

 この森に行ったのはランニングするためだったんだけど、ドングリの実がいっぱい落ちているのを発見し、あとでまた妻を連れて舞い戻り、二人でビニール袋持ってせっせとドングリ拾い。
 まだ、ちと気が早いけどクリスマスリースづくりの教室を妻が毎年開いているので、その材料集めです。昨日の台風の風が落としたんでしょうね、まだ青い実が地面を覆い尽くすほど落ちていた。
 冬眠に入る前のリスの夫婦みたいに、まあ夢中になって木の実拾いをしてきました。二人で「ショーバイ、ショーバイ」って言いながら。まあ、確かに商売ではあるんですが、あんまり仕事らしくないですね。
 気が付いたら、剥き出しになっていた腕を十カ所ぐらい蚊に刺されていました。秋の蚊は痒い。ひどく腫れて、どことなく腕の形まで変わったよう。

 例年、どこにどんな木の実が落ちているのかは、すでに調べてあるので、これから徐々に他の木の実を拾いに行く予定。

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 ゆく夏を惜しみつつ(あんまり惜しくもないけど)、近所のどことなく夏っぽい風景。

 メルマガのエッセイにも書いたんだけど、どうも最近、自分の人生が「仕組まれている」って感じることが多い。「よくできた偶然」とか「ご都合主義の展開」とかを、あまりためらわずに使ってしまう作家(ぼくもそうですが)の小説の主人公になったよう。まあ、いいんですけどね。「たまたま」一冊だけ(ほんとは二冊)「Separation」を送った編集者が、二十年ぶりに大きく記録を塗り替えることになった本のすごく近くにいる人だったってこともそうです。
 「世界の中心で、愛を叫ぶ」の中には、「次はこれ!」ってことで「いまあい」のチラシを挟んでもらっているのですが、これが他の誰でもないこのぼくの小説の宣伝だってことが、「出来すぎ」の感じがするでしょ? もちろん、そう感じるのは当事者であるこのぼくだけだとは思いますが。
 「誰か」が仕組んだことだとしても、そいつは、ちょっとやりすぎたって気がします。ちょっとほころびかけている。「おいおい」って言いたくなってしまう。

 だもんで、そろそろ調整局面にはいるような気がしているのですが。
 妻も同じ意見です。「どこかおかしい」って。
 たとえば、これを「必然」だって思える裏付けがあれば、べつにこんなふうには考えないのですが、ぼくはそんなもの持ってないですからね。ぼくの書くものは、とても小さな世界で、ぼくが興味ある世界というのは、せいぜいが半径5mぐらいなものです。ぼくと妻と子供と、あと少々。それ以外には興味ない。だから、描く小説も、そのこと以外はあんまりでてこない。登場人物のほとんどがぼくの分身ですし、人物を「造形」しようなどともあんまり考えていません。必然的にワンパターンになるのですが、それでいいと思っていますし。

 「まずは10冊は書いてみる」っていうのは、ずっとぼくが編集者の方たちに言ってきた言葉です。なんかそれ以上は繰り返しになってしまう気がするんですよね。もともとほんの小さな引き出ししか持っていないから。
 そのうちの四冊目がまもなく出ます。

 

 

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