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  どこかで見たような風景。


 マーカス・チャウンというサイエンスライターが書いた「The Universe Next Door」(邦題「奇想、宇宙をゆく」)を読了。まだあまり本流になっていない、ともすればキワモノ扱いされかねないような理論までピックアップされていて、おもしろく読めました。
 
 ここ数年、量子論の本を読んでいて気が付いていたのは、かなりの物理学者たちが「多世界解釈」を受け入れ始めているなあってことでした。SFでも有名な「パラレルワールド」ですね。

 その「感覚」を数字として確かめることができたのが、この本に載っていた1999年に行われた物理学者たちに対する非公式アンケート結果です。なんと「正統派」といわれる「コペンハーゲン解釈」の十倍もの支持を「多世界解釈」が得ていたというのです。

 やっぱりなあ、って感じです。結局、このほうがしっくりくるんですよね。量子的現象を考えるときは。

 さて、ここからが面白いところ。
 マックス・テグマークって物理学者が言っていることなんですが、「人は(主観的には)不死である」って説。
 多世界解釈が正しければ、人生で唯一確かなものは死ではなく、不死であるって言っている。

 これは、ちょっと説明が必要なんだけど、多世界解釈っていうのは、あらゆる瞬間に世界は分裂をしているっていう考え方だから、たとえば、ロシアンルーレットで自分の頭に銃弾を撃ち込んで死んだとき、もうひとつの世界では、弾は出ていなくて、自分はまだ生き延びているわけです。そして「自分」が唯一意識し続ける実存は、この生き延びた世界なのだ、ってことです。

 親しい人間が死んでも悲しむ必要はないって、ことらしいです。彼(彼女)は、この世界では死んだけど、別の世界ではしっかりと不死の道を歩き続けているのだから。そして主観的にはそれこそが彼(彼女)にとっての「実存」なわけです。
 おもしろいでしょ。考えてみれば、多世界解釈からごくあたりまえのように導き出される考え方なのに、寡聞のためか、いままで目にすることがありませんでした。

 最新の科学をもとに、なんらかの生を超えた意識みたいなものを考え出すのは、これはとくに害のあることではないと思います。マックス・テグマークの考えなんて、すごく救われる感じがあるし、ヴォネガットは、自分の作品の中で、繰り返し、「いまはたまたま運悪く死んでるけど、生きていたときのすべての瞬間はいまもちゃんとそこに在るんだから大丈夫」って考えを披露しています。先ほど読んでいた「ムーン・ロスト」というコミックでは、登場人物の物理学者が「膜宇宙仮説」に支えられた転生につてい語っていました。

 ただ、これらはすべて「仮説」です。これをあたかも「真実」であるかのように言うのは、やっぱり危険なことなんでしょう(まあ、ヴォネガットの言っていることなんかはすでに「仮説」ではなくなっているようにも思いますが)。
 その辺のことをヴィクター・J・ステンなんかは、つねに自著の中で主張し続けています。「宇宙に心はあるのか」あたりを読むと、量子論がいかに疑似科学の餌食になっているかが良く分かります。

 考えると(考えなくても)、ぼくも自著の中で「死を超えた生」みたいなもを繰り返し書いてきています。
 「アーカイブ星」はまさしくそうですし、「Separation」の結末もそんな含みを持たせています。きっとこれからも書き続けると思いますし、このマックス・デグマークの理論なんかは、また新しい小説に繋がりそうな気もしています。

 じゃあ、なぜ「死」を書くのか。
 これはさんざんインタビューでも聞かれました。「愛するものを得たときにはその喪失の予感もつねに寄り添っているものだから」なんて答えていましたが、ほんとうはそんな生やさしいものじゃありません。

 この衝動はもっと激しく、身体的な苦痛すらともなう不安です。「予感」なんて響きのいい言葉では、本質的な部分はすべて削ぎ落とされてしまっている気さえします。

 朝目覚めたとき、あるいは眠れぬ夜に寝返りを打ちながら、あるいは夜ベッドに入るときには必ず、本を読んでいるとき、TVを見て笑っているとき、食事をしているとき、走りながら、空を見ながら、歯を磨きながら、いつでも、この不安をぼくは見ています。パンを飲み込みながら思うわけです「ああ、まだ生きてる。死んでない」って。地下街を歩きながら、「ぼくはほんとにまだ生きているのかな」って思うわけです。日に百回も二百回も。
 あるいは、隣にいるパートナーを見ながら、「生きてる、触れると温かい」っていつも確認したくなるわけです。

 まあ、ここまではぼくのこと。

 でも、よく思うのはみんなそうなんだろうなあってこと。「みんな」とは全員じゃなく、たくさんのひとってことですが。そうじゃないひともたくさんいるだろうし、幅もいろいろあるでしょうし。深刻な人はそこから目を逸らすことができなくなって、「VOICE」にも書いたけど、「日の半分は死のことを考えて、その残り半分はそこから逃れることを考えている」ってことにもなるでしょう。

 そうすると、そうだってひとと、そうじゃないってひとで、「考え方」が別れていくことになります。同じものを見ても、別のものに見えてくる。
 言いたかったのは、まあそんなことです。おおむね「作家」って「そうだってひと」ばかりのような気がします。
 

 
 

 

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思い出の

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ソニーミュージックが完全予約制で販売した、「CANDIES PREMIUM─ALL SONGS CD BOX」に付いてきたフィギュア。いまごろ、あちらこちらの父さんの机の上に置かれていることでしょう。コアなファンはいま、五十歳前後ぐらいの方たちでしょうから。
 ぼくは、キャンディーズが解散したとき中学三年生だったので、ちょっと遅かったぐらいでしょうか。
 小学校の時仲良し三人組がいて、その一人がファンクラブに入って、送られてくる会報を、よく三人で回し読みしていました。そうすると、ニューシングルはいついつに出る、って書かれてあるものだから、やっぱり三人でレコード屋さんに行って、発売当日に買ってきて、その友達の部屋で聴くわけです。小学生だから英語とかよく分からなくて、「涙の乗車券」のサビの部分をよく「チイサナジケツハァ」なんて歌ってました。漢字にすると変。
 読売ランドでおこなわれた、ファン感謝ショーにも行った記憶があります。小学生なりにけっこうまじめにファンをやってました。そのとき以来、ずっとファンです。いまでも車で走るときはMDで聴いてます。
 
 中学の時、「暑中お見舞い申し上げます」をカセットテレコ2台使って、ひとりで三人のそれぞれのパートを録音して、「ひとりキャンディーズ」をやったこともあります。まだこのときのテープが残っているんだけど、これを聴くと、10分ぐらい意識に空白が生じます。いやな汗を五リットルぐらいかきます。

 当時は、「キャンディーズ」が世界に通用するレベルのコーラスグループだと思っていましたから、「なんで、アメリカでデビューしないんだろう?」っていつも思っていました。(甲斐バンドのことも同じように思ってました)

 ほぼ同じ頃、「QUEEN」にもはまって、高校の頃は来日すると武道館に行っていました。

 結局いまでも好きなのは、このふたつのグループなんですよね。小学校の高学年から中学にかけて好きだったグループ。そこから先にぼくは進めずにいるみたいです。

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