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あっついですね

埼玉は連日、33度とかの真夏日。
いい感じです。それにもうすぐ梅雨入りですし。

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いま撮ったパソコンデスクの上の画像。温度計がすでに30度を超えています。
その隣にはミネラルウォーターに付いていた鳥のフィギュアが..コンプリートするまえに終わってしまった。
その奥は金木犀の精油と、それをエタノールで希釈した香水が。ぼくの好きな匂いなもんで。でも、あれって秋の空気の中にあってこそいいって言うか、こうやって香水にしてしまうと別物のようにも感じます。
デスクトップ画像は、ボルネオあたりの水中写真。

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よくランニングする道。車来ないし、このように緑が上を覆っていて、日が差さないし。これはほぼ正午に撮ったものだけど、この時間でもけっこう暗いです。左側は用水路。そのさらに左は雑木林。林の中を通り抜けてきた風が、水面でさらに冷やされ、この道を吹き抜けていくので、かなり涼しいです。
鳥も賑やかだし、下草は足に優しいし、走るにはよいところ。

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春の小川
ほんとに小さな川ですが、メダカたちが元気に泳ぎ回っています。
ここには写っていないけどオタマジャクシもうじゃうじゃいます。
いまは養殖のヒメダカが一般的に知られていますが、この野生種のクロメダカは年々姿を消していきます。毎年、この小川でもチェックしていますが、姿を見つけるとほっとします。

パトリック・ジュースキントの「香水」を読了後、ジェフリー・ユージェデニスの「ミドルセックス」を読み始めています。おもしろい! とまんない! 700頁を超える小説ですが、もっとあってもいいぐらい。
「香水」「ミドルセックス」と続けて読んでみると、「物を語る」という、ひどく素朴なスタイルこそが、やっぱり一番ひとを惹き付けるんだって思ってしまいます。人の脳って、こういうのに敏感に反応するように進化してきたんでしょうね。くっきりと輪郭のあるストーリーとドラマ性、オリジナリティーあふれる挿話。

逆に、ドラマ性を抑止した、輪郭のつかめない、雰囲気だけの小説、あるいは、哲学的であったり、メタフィジカルな小説というのは、脳の中でも、また別の部分をつかって読むもののような気がします。
そういうのって、訓練が必要だし、慣れていないと楽しむことができない。「お話を聞く」行為から、ステップアップした高次の作業なんでしょうね。ぼくは、単純な人間なので、「お話を聞く」よりも高次の作業はどうにも苦手です。
絵画も抽象画よりは、写実派の描く宗教画のようなドラマ性のある絵が好きですし、音楽も、無調に近いような通っぽい楽曲よりは、分かりやすいペンタトニックスケールが好きだったりします。これらって、きっと「味わう」脳の部分が違うような気がします。


 でも、この凡庸性こそが、ぼくの強みだとも思っています。これこそがぼくの小説の最大の秘密だと(秘密じゃあないですね)。なんだか分からないけど凄い! っていうのよりは、どこかいいのかよく分かる! っていうのが好きだっていうぼくの傾向。 
 すぐに思いつかないんだけど、たとえばコミックで福島聡さんの「少年少女」は、完全には分かっていないんだけど、すごい作品だっていうのが分かる(いや、このコミックは実は大好きなんで、いい例じゃないんだけど)。
 言いたいのは、「少年少女」になってしまうと、ぼくの読解力では、「どこがいいのか」を説明できなくなる。総体としての印象で「おもしろかったぁ」って言うのが精一杯になる。そういう人間が描く側になると、もうほとんどの人間がしっかりと理解できる話しか書かなくなる。そのへんが小学生から年配の方まで読んで下さっている理由なんだとも思います。

 じゃあ、それは単なるメロドラマなんじゃないのか? って言われると、どうもぼくが目指しているのはそことも違うような気がする。じゃあ、 なんだか分かんないけど凄い! って話とメロドラマの中間を目指しているのか? って言われるとそれとも違う。 って言うのも、ぼくはそのどちらも読み手や視聴者としてあんまり興味がないから。
 書きたいのは、ユージェデニスや、あるいはアーヴィングやマキューアンやファウルズのような小説なんだけど、それってどれも「純文学」って言われているジャンルで、でもぼくが書きたいのはエンターテイメント、「上質な現実逃避」なわけです。
 で、結論として最近思うのは、純文学の作家が、「ごく凡庸な読み手」に歩み寄ろうとして描くもの、それが、エンターテイメント側のぼくが上を目指して近付こうとする目標、と似通っているんじゃないか。テーマ性や哲学的な深意は無いんだけれど(いや、少しはあるかも。だいたい後付です)、ぼくが描きたいのはあんな感じの小説だから。

 ああ、でもやっぱりちょっと違いますね。ぼくの小説は、その中で、さらにセンチメンタリズムという部分に意識的に踏み込んでいくっていう大きな特徴があるから。確信犯的に、あえて描こうとする姿勢。これは、どんなに歩み寄ろうとしても純文学の作家は、まず描かない。だって描いたらそれは「通俗小説」になってしまうから。感傷的だと言われるアーヴィングですら、ぼくから見ればずいぶん抑制が利いています。

 もう少し、もうちょっとこの部分を膨らませてもらえたら、もっとぐっと感動できるのに! って欲求がいつもあって、それを自分の小説では描こうとしている。 実はとても微妙な作業かもしれない。 それゆえに、もっと上手に描ける可能性はいくらでもありそう。だからおもしろんですね。 いずれは、「マキューアンがもしこの感傷的な場面を描いたらこんなふうになるかもしれない」って言われるような文章を書きたいですね。たとえば、ユージェデニスが描いた「冬のソナタ」とか、アイザック・バシェヴィス・シンガーが描いた「プライド」とか(ありえねー!)、そういのっておもしろい。

 「香水」(は当たり前にしても)も「ミドルセックス」も「匂い」が紙面から立ち上ってくるような小説です。ぼくも「匂い」をよく描くほうだけど、もっともっと描いてもいいかもって思います。
 それにしても、ずいぶん書いたなあ...原稿はまったく進まないというのに。

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