本が売れない、出版されない、その先...
春先には、インドの創作カレッジの生徒さんたちとスカイプをつかってビブリオトークをしました。彼らは「BE WITH YOU」を教科書につかってくれていたんですね。このときはアメリカとインド、日本の三ヶ国でトークをしたので、ちょっと不思議な感じでした。先生たちとも交流が出来て、もし「世界を優しくするための物語」が出版されたら、インドでも広めてくれるようお願いしました。彼らはプロの創作者でもあるので。
国境なき少年少女団
すっかり鳴りをひそめているので、なんの執筆もせずにグータラしてたように思われるかもしれませんが、ここ数年もそれまでと変わらない(もしかしたらそれ以上の)ペースで書き続けています。
このうちの二本は、もとが1500枚ぐらいある長編なので、なんやかやで全部合わせると手元に4000枚以上の原稿が溜まっている計算になります。けっこう書いたなあ...。
こうなると「作家」というのは職業ではなく、ぼくという人間の基本的な属性みたいなものなのかも、と思ったりもします。本能が「物語を紡げ!」と叫んでる。
最近はギリシャのサントリーニ島のような真っ白な街並みをステンレスの球が転がっていくおもちゃをつくりました。
「世界の優しさの総和を少しでも増やしたい」。子供たちの未来のためになにができるのか。物語を紡ぐのがとくいならば、それを精一杯やってみる。グレタ・トゥーンベリさんがやっている金曜日デモみたいのもすごくいい。グリーン・ニューディールとか、いろんな活動がある。作家は小説でそれをやる。
「永遠に解けないパズル」の帯にも書かれているフレーズですが、ぼくのお気に入りの場面。
十五の愛は、あまりに幼いものだけど、それでもぼくらは真剣だった。ふたりは、ふたりにしか出来ないやり方で互いを見つけ出した。新しい恋を発明し、その関係式を胸に刻み込んだ。
じゅうぶんに強くあれば、とぼくは思った。運命にだって打ち勝てるはず。
そうだろ?
「永遠に解けないパズル」
「永遠に解けないパズル」
2017年に発刊された「MM」の文庫が発刊されました。
今日すでに書店に並んでいるとの報告も受けました。明日辺りかなりの書店さんに並ぶんじゃないかと思います。
誰も病気にならないし、ファンタジックな設定もない、ド直球の青春小説です。見本が来たので読み返してみたんだけど、なんか書いているとき異常なほどハイになっていて、その感じが文章からバシバシ伝わってきますね。言葉の曲芸飛行って感じ。ほんの数週間で一気に書き上げたことを憶えています。例によって自動書記状態だったので、いま読むと「どこの誰が書いたんだろう?」って思います。いつもながらほんと不思議。ぼくには書けない。
今回ブログ記事を書いたのが、実に一年半ぶり。前作「私小説」が出てから、もうそんなに経つんですね。
まったく新作が出ていない! いわゆる「小説」となると「MM」が最後ですから、ずいぶん前になる。でも、引退したわけじゃないですからね。ほぼずっと原稿は書き続けている。その辺のことは、また明日にでも書きます。ほとんどこの記事を読む人もないとは思うけど。
とりあえずは、発刊のご報告まで。
新作「私小説」が三月七日に出ます。
その名の通り、「在る作家」の日常を描いたとても風変わりな私小説です。
その公式ツイッターアカウントを朝日新聞出版さんが立ち上げてくれまし
た。本文のかなりの部分をここに思い切って公開していく予定です。
あとがきの一部を添えておきます。
ぼくの肉体や神経は油断ならぬ敵であって、いとも簡単にぼくを裏切りま
す。日々はワンダーランドであって、一秒先になにが待っているかも分から
ない。
さらにきわめて過剰な純粋さや潔癖さがあります。事件級の純粋さとは一
体なんなのか? 過激な感傷、近しい者への度を超えた共感、性の曖昧さや
精神的に未熟であること。こういった「事件」は「攻撃的な事件」に比べる
と、その穏やかさゆえに、あまりひとの目に付くことがありません。極度に
人畜無害な「変わり者」。
この「世にも奇妙な恋愛小説家の日常」を徹底して描いてみたらどうだろ
う? 選択的発達者のファンタスティックな私小説。
以前出した、「ぼくが発達障害だからできたこと」という本の中でも、ぼ
くは自分の「極めて偏った個性」についてかなり詳しく書いています。でも
、そこでは理由や意味を考察することに重点を置いてディテールにはあまり
触れませんでした。
なので、その副読本としての「私小説」を描いてみる。たった三十時間ほ
どのあいだに起こる出来事や思いをとことん細かく描写してみる。小説とし
て出せば、さらに多くの一般の読者たちにも読んでもらえるかもしれないし。
マジョリティーである「一般のひとたち」は、ぼくのような人間をあくま
で自分の基準で測ろうとします。あらかじめ自分の中にある本能、価値観、
能力を物差しにしてぼくらを見る。でも、それにはどうしたって限界があり
ます。ぼくらの中のある部分は、本質的に「あなたたち」と違っています。
想像のしようもないほどに。
だから、知ってもらう。いまさかんに言われてるダイバーシティっていう
のもつまりはそういうことだろうから。知ることから始まる。
11月4日
四年ぶりにサイン会をします。場所は母校獨協大学です。
一回目のサイン会のあと、みなさんと交流できる時間も
もうけたいと思ってます。
そのときは、皆さんがすでにお持ちのぼくの本にもサイン
をさせて頂こうと思っています。
めったにこういうことをやらないので、興味のある方は
この機会にぜひご参加下さい。
以下獨協大学さんが書いて下さった告知文です。
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市川拓司さん(85年経済卒)がホームカミングデー(11/4)
に来校!
新刊本『MM』の刊行を記念して、サイン会を開催します。
日時・会場
平成 29年11月4日(土)
1回目13:00~(天野貞祐記念館1階)
2回目16:00~(35周年記念館2階学生食堂)
備考
市川拓司さんの作品をお買い上げの方(先着順)
ぶっくぎゃらりぃDUOにてお買い上げの方もご参加いた
だけます。(当日開催前、及びそれ以前のお買い上げで
も〈参加券〉をお渡し致しますので、本と〈参加券〉を
お持ちいただければサイン会にご参加いただけます
http://www.shogakukan.co.jp/pr/MM
「MM」の発刊を記念して女優の樋口柚子さんと対談をしました。彼女の深い洞察と思いの強さに、対談してて思わず涙がでそうになりました。ぜひ読んでみて下さい。
『恋愛寫眞―もうひとつの物語』がオーディオブックになりました!
「オーディオブック」とは、
プロのナレーターさんが本を読み上げているので
音で本を楽しめるサービスです。
オーディオブックは、スマートフォンで簡単に再生することができ、
耳だけしか使いませんので、朝の満員電車のなどの移動時間や家事などの
ちょっとしたスキマ時間を読書時間へと変えることができます。
よろしければ、『恋愛寫眞―もうひとつの物語』をオーディオブックでもお試しください。
オーディオブック配信サービスFeBeにてダウンロード可能です。
☆『恋愛寫眞―もうひとつの物語』ダウンロードはこちらから
URL:http://bit.ly/2ir2Hx3
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聴いてみたけど、すごく良かったです!
素直で、控えめで、清潔な印象でした。BGMが付くと、こんな感じになるんですね。
新刊が出ました。「MM」
二年半ぶりに新しい小説が出ました。
会えなくなるとわかっていても、ぼくはきみを守りたかった‥‥。
その日、映画の脚本家になることを夢見ていたぼく(佐々時郎/ジロ)は、駅前通りの本屋さんで『ハリウッドで脚本家になるための近道マップ』という名前の翻訳本を立ち読みしていた。
600ページもある高価な本だったから、夏休みに入った最初の日から毎日店に通って、少しずつ全ページを読破する計画だった。
その日も本に没頭していると、急に肩を叩かれ、ぼくは飛び上がった。
(本屋の親父さんについに見つかった!)
恐る恐る振り返ると、そこに彼女がいた。
南川桃(モモ)。
同じクラスにいたけど、一度も口をきいたことがない女の子。
女子のヒエラルキーでも頂点にいるのが当たり前のようなその子が、そのあとぼくに頼んできたのは、伝記を書くことだった。
「伝記? 誰の?」
「わたしの」と、彼女は言った。
(小学館の解説より)
「こんなにも優しい、世界の終わりかた」
林の中はさざめきと気配に満ちている。
すぐ耳元で誰かが囁く。驚いて振り向くけれど、そこにはただ青い霧が漂うだけで、ひとの姿はどこにも見えない......
この小説をアニメーションにしたくて、とりあえず一場面だけ制作してみました。文庫本の発刊に合わせて、ここで公開します。
ぼくの従兄弟の奥さんの小説です!
羽鳥あゆ子
昭和25年秋田県に生まれる。
同人誌「えん」、「二十一世紀文学」に参画
東京都在住。
(著者プロフィールより)
「2011年3月の震災、それを機に心身のバランスが崩れ、
真坂光(まさか あき)は異世界へ紛れ込む。
かつて光(あき)自身が作った小説の主人公、マルロ。
同世代で、死後を知りたいと『実験自殺』をした貴我という名の少年。
数多の異形の物たちをしたがえ、物語は終末へ向かう。
ユルクナイ、ユルクナイ……
その呪文が、久遠の記憶をよびさまし、さらなる迷宮に入り込む……。」
Amazon解説より。
みなさん、ありがとうございました
さまざまな、コメント、どうもありがとうございました。
すごく励まされます。
'子供たちに優しい未来であって欲しい
一番に思うのはそのことです。子供に罪はないのに、身勝手な大人たちが彼らを苦しめてる。
せめて、子供時代だけでも絶対無条件の幸せであるべきなのに、欲深い大人や、独善でいがみ合う大人たちが、子供たちの幸せを、まるでそれが自分に約束された取り分でもあるかのように、勝手に奪い取っていく。
奪われた子供たちは、自分でもそうとは気付かないままに、損なわれ、深く沈み込み、真の喜びとは無縁の人生を送るようになる。
世界よ優しくあれ、ですね。
その兆しは、すでに見え始めてるような気もします。